サッカーの話をしよう
No.286 ボールは丸い
「ボールは丸い」
本紙読者には、運動面での財徳健治記者の同名コラムでおなじみのフレーズだろう。サッカー独自の言い回しだ。
丸いから、どちらにはずみ、転がるかわからない。そこから、予想外の展開や結果になることを、こう表現する。
たとえば、先週土曜のオリンピック予選、対カザフスタン戦を前に。「実力は明らかに日本が上。しかし何が起こるかわからないよ。『ボールは丸い』からね」などと使う。
この言葉が、いつごろ、誰によって生み出されたのか、寡聞で知らない。ただ、私がサッカーを始めたころ、1960年代には、もう広く使われていた。
アジアサッカー連盟の機関誌「AFCニューズ」編集長マイケル・チャーチ氏の話では、おもしろいことに、アラブ諸国でもまったく同じ表現をするという。しかしサッカーの母国である英国には、この言葉はない。
予想外のことが起きたときには、「It's a funny old game.(昔からおかしなところのあるスポーツだったよ)」とか、「a game of two halves(前半と後半、ふたつのハーフがあるスポーツ)」などと言うらしい。
先週土曜のカザフスタン戦。前半、圧倒的に押し込んで中田英寿のゴールで1点をリードした日本は、後半、うって変わって積極的になった相手に雨あられのシュートを打たれた。まさに「ふたつのハーフ」のゲームだった。そして丸いボールがどちらに転がるかわからないように見えた時間帯もあった。終了間際に稲本潤一が2点目を決めたとき、幸運な勝利だったと感じた人も多いだろう。
しかし実際には、日本はほとんど相手に決定的な形をつくらせなかった。数多くのシュートの大半は、ペナルティーエリア外からの運だよりのものだった。本当に危なかったのは、ただ一瞬、左CKがウラズバフチンの頭にぴたりと合ったときだけだった。しかしヘディングシュートは右に大きく流れた。
アルマトイのグラウンドコンディションの悪さで日本が得意とするパス攻撃ができないことを、日本のトルシエ監督はよく理解していた。そして、その結果、試合が非常にフィジカルなものになるだろうということ、その身体的接触の戦いに勝たなければならないと、この1週間強く言ってきたという。
押し込まれても、日本の選手たちはボールのあるところで一歩も引かない戦いを見せた。何をしなければならないかをきちんと理解し、それをやり遂げる力をもった選手たちは、本当に落ち着いて、頼もしく見えた。
ボール扱い、パスワーク、スピードに長ける日本が、あえてそれを忘れ、カザフスタンが唯一得意とするフィジカルな戦いの場に出て行こうと監督と選手が一致したとき、この結果は見えていたように思う。
さらに言えば、この最終予選で最も重要なアウェーのカザフスタン戦ではペルージャの中田の力が必要であるとしたトルシエの判断もまた、的確なものだったことが証明された。
偶然や幸運で生まれた勝利ではない。相手の力を正確に把握し、試合の展開を入念にシミュレートしてたてた戦略の勝利だった。結果は、非常に「ロジカル」(論理的)だったのだ。
「丸いボール」は、傾いた場所に置かれれば、100パーセント上から下に向かって転がる。予測に反した方向に転がることがあるとすれば、それは傾斜を読み間違ったときのはずだ。ボールには意志はなく、常に「地球の真理」というロジックに従って転がるからだ。
カザフスタンに対する勝利は、「おかしなところのあるゲーム」ではなかった。まさに、ボールは「丸く」、ロジカルな方向に転がったのだ。
(1999年10月13日)
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