サッカーの話をしよう
No.287 朝から晩まで...
10月17日、日曜日。午前5時40分起床。どんよりと曇り、寒い。数日前までの暑さがうそのようだ。
友人が迎えに来てくれて、6時半に出発。銚子岬の近くの茨城県波崎町に向かう。前日から40歳以上の大会が開催され、私のチームが参加しているのだ。途中渋滞もなく、安全運転で8時半に到着する。
利根川と鹿島灘にはさまれたこの広大な町には、数十面のサッカーグラウンドが点在している。そのすべてが芝生だというから驚く。道に迷わずたどり着けたのは幸運だった。
前日のグループリーグに続く決勝トーナメント。準々決勝の相手は強豪だ。前日2試合した仲間はみんな疲労の色が濃く、捻挫で動けない者もいる。
前半、私のチームが見事なシュートを決めるが不可解なオフサイドの判定。結局0−0で引き分け、PK戦で敗れる。いつでも出られるように準備していたが、監督はついに私の名前を呼ばなかった。
負けても順位決定戦がある。気を取り直して別のグラウンドに移動する。大会最後の試合。準々決勝に出場しなかったメンバー全員が出る。私はボランチ。11人のフルゲームは久しぶりだったが、私より15歳も年上の人もがんばっている。弱音ははけない。そして後半、私が交代した直後に決勝点がはいる。
結局、私たちのチームは5試合戦って失点は0。PK戦負けがひびいて2年連続優勝を逃したが、まずまずの成績だった。
みんなでグラウンドで弁当を食べ、時計を見るとまだ1時を回ったばかりだ。銚子発2時43分の特急「しおさい」で帰ろうと考えていたが、友人の車で東京に戻ることにする。
いまにも降りだしそうな天候のためだったのだろうか、高速道路は休日の午後とは思えない交通量の少なさで、3時には東京に到着する。おかげで、J2のFC東京×コンサドーレ札幌戦のテレビ中継を後半から見ることができた。
エースのアマラオを欠く東京は攻撃の最後の段階に力強さがない。オリンピック代表から外されて前日チームに戻った札幌の吉原が反応よくクロスバーからのリバウンドを叩き込み、これが決勝点となる。江戸川競技場は両チームのサポーターで埋まり、非常に雰囲気が良かった。
テレビ中継が終わってからシャワーを浴び、支度をして出発。オリンピック最終予選の最初のホームゲームを迎える国立競技場には期待感が渦巻いていた。
試合中に東京新聞の「早版」用原稿を書き、試合終了後、監督記者会見を聞いてからももう1本原稿を書く。東京近辺ではこの記事が読まれるはずだ。
急いで帰り、テレビをつける。イタリア・リーグ「セリエA」のベネチア×インテルの生中継は、もう前半の終盤だ。名波が元気に走り回っている。これまでの「左サイド」ではなく、中央で「ボランチ」のようだ。
後半立ち上がり、名波が鋭い出足でボールを奪い、サイドに振って、ベネチアが先制点を奪う。ベネチアの今季初勝利は名波のセリエA初勝利。それが首位インテルからの金星だった。
引き続き12時20分にベローナ×ペルージャの録画放送が始まる。中田はいつものように「ウルトラバランス」のドリブルを見せるが、ペルージャは相手GKの好守に得点できず、カウンターから1点を食らう。
この試合の前半終了後、どうしようもない眠気が襲ってくる。最後まで見たかったが、このままテレビの前に座り続けていても頭には何もはいってこないだろう。翌朝VTRを見ることにして、睡魔に白旗を上げる。
ベッドにはいって考える。思えば、朝から晩まで、サッカー漬けの1日だった。まあ、たまにはいいだろう。
(1999年10月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。