サッカーの話をしよう
No.288 東京スタジアム完成近し
「かんとう村」といっても、東京都民でも知らない人が多いだろう。
調布市の西の端から府中市、三鷹市にまたがる広大な地域がある。アメリカ軍調布基地の跡地だ。返還後、滑走路施設は「調布飛行場」となり、その周辺にスポーツ施設がつくられた。野球やサッカーのグラウンドがたくさん並んでいる。アメリカ軍の宿舎が「カントウ村」と呼ばれていたことから、運動施設は「かんとう村運動広場」と呼ばれるようになった。
国道20号線(甲州街道)を西に走っていくと、中央自動車道の調布インターを過ぎたあたりで右手に広大な空き地が開け、しばらくすると東京オリンピックのマラソンの「折り返し地点」の標識が見える。そこが「かんとう村」の入り口だった。いまそこは、大がかりな工事現場の出入り口になっている。「東京スタジアム」の建設だ。
実はこのスタジアム、私たちのチームがよく利用していたサッカーグラウンドのあった場所に建設が進んでいる。周囲の立派な木立が無惨に切り倒され、いよいよ工事が始まるとき、私たちは貴重なグラウンドがひとつなくなると失望していた。しかしまだまだ使われていない土地があったらしい。少し西寄りの場所に、以前と変わらぬ数のグラウンドがつくられた。
ある日練習に行くと、巨大なクレーンが目についた。やがて大きなスタンドの骨格が姿を現した。練習に通うたびにスタジアムが「成長」していくのがわかる。来年の暮れには、近代的なスタジアムが誕生するのだ。
当初の計画は「サッカー専用」だった。しかし諸事情で陸上競技との「兼用」となった。建設計画も、当初の97年完成から99年完成へ、そして最終的に2000年末完成へと延びた。しかしこうして形ができてくると、新スタジアムへの期待がふつふつと湧いてくる。
現在J2(Jリーグ2部)で2位につけ、J1昇格への好位置にいる「FC東京」は、再来年、2001年のシーズンからここをホームスタジアムにして戦うことになっている。
FC東京は、92年に始まった旧JFLに「東京ガス」という名称で参加し、年ごとに力をつけ、成績を伸ばしてきた。旧JFL最終シーズンの昨季には、見事初優勝を飾っている。そして今季、J2入りを前に「FC東京」に名称変更し、J1昇格へと目標を定めた。
Jリーグが誕生して以来、東京にホームタウンを置くクラブがなく、都民のサッカーファンは寂しい思いをしてきた。しかしFC東京の誕生で、ようやく思い切り応援できるクラブができた。FC東京がJ1クラブを次々となぎ倒して進出したナビスコ杯の準決勝では、国立競技場に4万人を超すファンがつめかけて声援を送った。J1に上がって東京スタジアムを使えるようになれば、この試合以上に盛り上がるのは必至だ。
さらに、最近になって、ヴェルディ川崎が2001年にホームタウンを川崎から東京に移し、この東京スタジアムを使用する計画が報道された。
川淵三郎Jリーグチェアマンが、まだ正式に移転申請が出てもいない時点でそれを容認するような発言をするのは非常におかしい。しかしJリーグのクラブが「一私企業」として生き残りを理由に権利を強行するなら、移転を止めるのは難しい。
心配なのは、「移転前、2000年のヴェルディはどうなるのか」という点だ。川崎を「足げ」にして出ていくクラブを、市民はもう応援しないだろう。
いずれにせよ、完成と同時にJリーグの新しい拠点となる東京スタジアム。21世紀の幕開けとともに、東京にもようやく本格的なJリーグ時代が到来することになる。
(1999年10月27日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。