サッカーの話をしよう
No.290 自然の知恵に学ぶ
シドニー・オリンピックの予選が終了した。振り返ってみれば、若い世代の技術の高さ、精神的な強さ、そして試合ごとに伸びていくたくましさに、感心しっぱなしの予選だった。
最終予選初戦の取材のため、10月上旬、2年ぶりにカザフスタンのアルマトイを訪れた。ワールドカップ予選で韓国にショッキングな逆転負けを喫した直後に訪れた2年前と比べると、今回は、短時間ながら落ち着いた気持ちで滞在を楽しんだ。
アルマトイは街路樹の豊かな町だ。巨大なプラタナスが広い車道を覆うように両側に立ち並び、車道からは街路樹の背後の建物の形さえわからない。カザフスタン戦の翌日、その街路樹の下をゆっくりと歩いた。
秋のやわらかな風が街路樹を渡っていく。木漏れ日が歩道に踊る。タフな戦いの末カザフスタンを破った試合を振り返りながら、私は、それとはまったく無関係の、あることを発見し感動にとらわれた。「自然の知恵」の発見だった。
大木は豊かな枝を茂らせ、そこに無数の葉をつける。しかし葉の大半は日陰になっているはずではないか。なのになぜ、日なたの葉と同じようにきれいな緑をしているのか。その答は「踊る木漏れ日」にあった。
樹木は、幹はしっかりとしているが、枝と葉は柔軟性に富んでいて少しの風にもさわさわと揺れる。それによって、樹木の「内側」の葉にも日が当たるチャンスが生まれる。
人間が太陽のエネルギーを利用しようとするときには、「パネル」のような固い素材を太陽に向ける。太陽エネルギーを受け止めるのはそれ1枚だけだ。その裏にもう1枚置いても何の役にも立たない。しかし自然は、柔軟な枝と葉によって、何層にも枝を茂らせ、葉を広げ、太陽の恵みをより深く受け止める「知恵」をもっていたのだ。
私の想いはフィリップ・トルシエ監督率いるオリンピック代表に戻る。この最終予選に至るまで、トルシエは50人を超す選手を召集し、レギュラーを固定せずに夏の1次予選を戦い抜いた。それはまるで、枝と葉を柔軟にして、そよ風のなかで太陽の光を深く受け止める樹木のようだった。
なかには、自分の枝の場所が気に入らず、自ら枯れて落ちていった「葉」もあった。しかし全体としては、実に数多くの「葉」に光を当て、緑豊かに育ててきたものだと、あらためて感心した。豊かな葉があったからこそ、頼りない若木がたくましい樹木へと成長したのだ。
チームを預かる監督の仕事のうち、もっとも難しいのが、「サブのケア」だ。
サッカーは11人と決まっている。そしてどんなにたくさんの好選手がいても、必ず「ベストの11人」は存在する。それを見極めるのが監督の大きな仕事だが、同時に、残った選手たちに刺激を与え続けて意識を高く保つことも、無視できない重要性をもっている。それは、「全員がレギュラーだ」などという言葉だけで解決のつく問題ではない。
レベルはまったく違うが、ひとつのチームを預かる身として、私も、その苦しみを味わっている。重要な試合が続けばおのずとレギュラーは固定され、サブの選手たちの意欲を保つことは難しくなる。
しかし表に出た日なたの「葉」だけでは、樹木は成長していくことはできない。枝や葉を柔軟にして内側の「葉」にも十分光を当て、緑豊かな「葉」を数多くつけることで、初めて樹木として旺盛な生命活動をすることができるのだ。
「自然の知恵」から学ばなければならない。樹木を大きく育てるために、そして、それぞれの「葉」が、元気いっぱいに活動していけるために。
(1999年11月17日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。