サッカーの話をしよう
No.292 ベルマーレは生き残った
Jリーグ1999年のノーマルシーズンが終わった。浦和レッズのJ2降格が話題になるなか、ベルマーレ平塚も今季J1最後の試合を終えた。ジュビロ磐田を最後の最後まで追いつめた2−3の敗戦だった。
来シーズン、クラブは「湘南ベルマーレ」としてJ2で再スタートを切る。主要出資企業のフジタ工業が経営から完全に手を引き、今月発足する新運営会社に引き継がれる。そして新スポンサーを探すとともに、湘南全域の市民から広く出資を仰ぐ「市民クラブ」となる。
未曾有の不況下、企業の「スポーツ放棄」が始まって久しい。サッカーでも旧JFLの企業チームが次々と休部した。昨年には、全日空がJリーグの人気クラブ横浜フリューゲルスを放棄し、消滅させる事件も起きた。
そうしたなかで、1年間の時間をかけ、負債を残さずに新会社への「軟着陸」を果たしたフジタ工業のJリーグからの撤退ぶりは、希有の存在だった。
「ベルマーレは未来永劫(えいごう)に継続するんだ」
銀行の厳しい管理下に置かれたフジタ工業が、もう資金面でベルマーレを支えられない状態になった昨年、クラブの経営責任者である社長の重松良典(69)は、その信念のもとに「生き残る」ための改革を始めた。
「人」「モノ」「カネ」のすべての面で負担にならない形にしておかなければ、誰も引き継いではくれない。何よりも必要なのは、これまでの万年赤字体質を改めることだった。
入場料収入を柱とした収入源は限られている。収支のバランスを取るためには、徹底して支出を抑えなければならない。昨年のレギュラー選手を全員放出し、若手選手を中心としたチームをつくった。スタッフ数を削り、試合運営経費も最大限切りつめてボランティアに頼った。
そうしたなかで、選手たちには、「あなたにとってサッカーとは何かを考えて取り組んでほしい」と要求した。カネを得る手段なのか。名声か。それとも、まったく別の何かなのか。
スター選手はおらず、経験の浅い選手ばかりで、負けが続くかもしれない。「そんなチームを見に来てくれるファンに何を返すのか。それを考え抜いて、プレーに反映させてほしい」。
同時に、クラブを引き継ごうという地元の人たちには、「地域にとってベルマーレとは何かをよく考えてほしい」と頼んだ。
負けても負けてもくさらず、懸命に勝利を追ったベルマーレ。その姿はやがて地域の人びとに支持され、「地元にJリーグクラブをもつこと」の意味の理解も深まり、広まっていった。
65年の旧日本サッカーリーグ創設の中心メンバーのひとりで、後にはプロ野球広島東洋カープの球団代表、そして90年代には日本サッカー協会の専務理事代行も務めた。半生をスポーツ運営で過ごしてきた重松のこの1年間を支えてきたのは、Jリーグの夢(理念)だった。
「Jリーグのクラブは、楽しみと感動をもたらし、子供たちに夢を与え、地域を活性化する。そうしたスポーツ文化が、より豊かな生活の実現につながる」
だからこそ、継続させなければならない。いったん始めたものを、企業の都合でつぶすようなことがあってはならない。
誕生してまだ7年のJリーグ。理念の実現にはまだ相当な時間が必要だ。しかし今季のベルマーレのように、夢を信じて努力する人びとがいる限り、一歩一歩前進していくはずだ。
「常識はずれの面もあったかもしれないが、今季のベルマーレの運営は今後のJリーグクラブのひとつのモデルになるはず」と、重松は胸を張る。
そしてベルマーレは生き残った。引き継がれた夢がどのように広がっていくのか、楽しみにしたいと思う。
(1999年12月1日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。