サッカーの話をしよう
No.294 「参加する」が2002年の取り組み方
先週の本コラムで、私はワールドカップ2002年大会の日本組織委員会(JAWOC)の姿勢を厳しく非難する記事を書いた。サッカーファンの心を理解しようとせずにどんな大会を準備しようとしているのかと、絶望的な気持ちを書いた。
今週は、より重要なその続編を書く。日本のサッカーファンがどのようにこの大会に「参加」し、ワールドカップ2002年大会を本当に世界の「サッカー・ピープル」のものにするかという、ひとつの提案だ。
「ワールドカップのチケット、なんとかならないかな」
最近、高校時代のサッカー仲間にこんなことを頼まれた。
もっともな話だ。高校時代から30年以上もサッカーを愛し、現在も会社のチームでプレーをしている。Jリーグのテレビ中継も時間が許す限り見て、観戦にも行く。しかし家族をもつサラリーマンには、これまでワールドカップ観戦など夢のまた夢だった。初めて自分の国、あるいは自分の町で見るチャンス。だがチケット入手が容易でないことは明らかだ。だからそんな言葉が出てきたのだ。
おそらく、日本中のサッカーファンの大半が、同じような気持ちをもっていることだろう。ファンだけではない。サッカー協会の役員、Jリーグクラブの関係者、審判、選手、コーチたち、すべての「サッカー・ピープル」が、「なんとか自分のチケットを入手できないか」と思っているに違いない。
しかし敢えて言いたい。
「それは間違っている」。
聞いてほしい。
日本に割り当てられる入場券は総数で75万枚だという。しかし日本サッカー協会の登録選手だけで現在90万人もいる。そのほかに、OB、熱心なサッカーファンが数百万人いるだろう。ワールドカップ2002年大会を1試合でも自分の目で見ることができる人は、そのごく一部にすぎないのだ。
では地元でのワールドカップとは、日本のサッカー・ピープルにどんな意味をもっているのか。私は、これを「楽しむ大会」ではなく、「参加する大会」ととらえるべきだと思うのだ。
JAWOCだけで大会を動かすことはできない。実際に大会の成功を支えるのは、無数のボランティアスタッフだ。そのボランティアとして大会に参加することを、日本中のサッカー・ピープルに呼びかけたい。
大会会場の案内係、通訳、輸送係など、自分に適した仕事が必ずある。幸運にもチケットを入手することができたら、その日は休んで、世界最高峰のサッカーを楽しめばいい。しかしそうできなくても、ボランティアとして参加できれば、その体験は、サッカー・ピープルにとっては一生の宝になるはずだ。
日本のサッカー・ピープルがこうした形で参加することは、同時に、世界のサッカー仲間に心から楽しみ、喜んでもらえる大会にする道が開けるということも意味している。
ワールドカップを世界中のサッカー・ピープルのための大会にするんだという意識の高いボランティアが増えれば、たとえば「ボランティア連絡会」などを組織し、サッカー・ピープルとしての考え方や企画アイデアを大会運営に反映させることも可能になるはずだ。
JAWOCという「お上」が準備するワールドカップをただ座って待っていたら、残るのは不満と失望だけになる。
ワールドカップを「楽しむ」チャンスは、これから先にいくらでもある。しかし「参加する」チャンスは今回限りなのだ。それを日本のサッカー・ピープルがどう生かすかで、それぞれの人にとってのワールドカップも、そして2002年大会それ自体の意味も、大きく違ってくるように思うのだ。
(1999年12月15日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。