サッカーの話をしよう
No.295 3冊の写真集
ブラジルで仕事をしている友人が、1冊の写真集をかかえて帰国した。ロンドンの書店からは、頼んであった写真集が到着した。そして、友人の日本人カメラマンは、出版したばかりの写真集を送ってきた。年末の忙しさも忘れて、3冊の写真集に見入った週末だった。
「Brasil Bom de Bola(ブラジル、サッカーの名手)」という題名の写真集は、大判で重さが2キロもある。よくこんなものをかかえてきてくれたと感謝したが、ページを開いてまた驚いた。十数人の写真家が競作し、歌手、詩人、作家、作曲家など、ブラジルの文化をリードする多彩な人びとが文章を書いている。しかも、ポルトガル語とともにフランス語、英語も併記されているのだ。リオデジャネイロの貧しい少年たちを救う民間機関支援のためにつくられた本という。
プロのスタジアムや、スターの写真は一切ない。ブラジル・サッカーの「原点」を思わせるストリートサッカー、全盲のチームの試合、刑務所の中での試合など、サッカーがこの国の生活文化にいかに密接に結びついているか、これほど雄弁に語った本はかつて見たことがない。
一方、イングランドの「The Homes of Football(サッカーのある場所)」は、スチュアート・クラークという写真家の2冊目のサッカー写真集。彼は旧式の中型カメラ(日本製)を使い、スタジアムを中心とした写真を撮っている。クラブ・スタジアム改装を援助する「フットボール・トラスト」に協力するプロジェクトの一環だという。
真剣そのもののまなざしでボールを追う少年ファンの表情もすばらしいが、この本の最大のみどころは3ページ大に引き伸ばされたスタジアムの全景写真。緑のピッチ上を走る選手たち、そして固唾を飲んで見守る超満員のファン。ページを開くたびに、いろいろなスタジアムの雑踏のなかに一気にジャンプできる。これもまた、「サッカーの母国」に根づいた文化の深さを思い知らされる1冊だ。
そして、わが日本の代表選手は、近藤篤カメラマンの「ボールの周辺」(NHK出版刊)だ。
彼は、南米、カリブ、アジア、アフリカ、そしてヨーロッパと、世界の各地でサッカーのビッグゲームを撮りつつ、「ボールのある風景」を執拗に追ってきた。それは、20世紀の地球上に大繁殖した人類という種族が、いかにこの球体に魅せられ、それを生きる糧にしているか、見事に表現している。
近藤カメラマンは「語学の天才」であると同時に、誰とでもすぐ友達になる天才でもある。それは、彼が自分というものを飾らず、相手にストレートに見せることができる希有な人物であるからだ。世界中のどこの町に行っても、彼はそのへんで遊んでいる子供を遠慮なくつかまえ、遊びのなかにはいりこみ、やがて1枚のぬくもりのある写真へと結晶させる。
三冊の写真集に共通するのは、サッカーの写真でありながらスター選手が主役ではないことだ。そして、それでいながら、スターの写真以上にサッカーの魅力を雄弁に語り、楽しく胸躍る気分にさせてくれることだ。
戦争に明け暮れた人類の20世紀、サッカーは世界中の人びとを元気づけ、子供たちに勇気を教え、夢や希望を与え続けてきた。「20世紀」は来年までだが、1999年という大きな変わり目の年に世界の各地で時を同じくするようにメッセージあふれるサッカーの写真集がつくられたのも、あるいは偶然ではないのかもしれない。
3冊の写真集は、新しい世紀のサッカーに向けて、「20世紀のように、世界に元気や夢を与える存在であれよ」と、呼びかけているような気がする。
(1999年12月22日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。