サッカーの話をしよう
No.296 天皇杯決勝主審 岡田正義さん
「決勝戦」らしい見応えのある試合だった。
名古屋グランパスの優勝で幕を閉じた第79回天皇杯。サンフレッチェ広島との決勝戦は、両チームが持ち味を発揮し、そして最後にはストイコビッチの天才が勝負を決めるという、ストーリー性にあふれていた。
シュート数は両チーム合わせてわずか8。活発な攻め合いというわけにはいかなかったが、グランパスは得意のサイド攻撃を押し通し、敗れたサンフレッチェも、もてる人材で想像力あふれるゲームを見せてくれた。「この1戦」にかける両チームの意気込みと集中力が伝わってくる好試合だった。
しかし主審としてこの試合を担当した岡田正義さん(41)は、記念メダルを受けるためにロイヤルボックスにのぼりながら、心からの満足感を味わうことはできなかったと語る。
「両チームの選手やベンチと十分な信頼関係を築くことができなかった」(岡田さん)からだ。判定に間違いはなかったという自信はある。しかし理想のゲームとは、両チームと信頼関係を築き、お互いに「よくやった。ありがとう」という気持ちで終わることだというのだ。
いくつかの場面で、サンフレッチェのトムソン監督が岡田さんや副審の判定に不満のジェスチャーを見せた。その「わだかまり」を、最後まで消せなかったのが残念だった。
「今季のJリーグでは、たまたま、サンフレッチェの試合を担当したことがありませんでした。それが、信頼関係を築けなかった原因のひとつかもしれません」と岡田さんは語る。
実はこの岡田さん、天皇杯決勝戦を担当するのは今回でなんと5年連続6回目。98年ワールドカップで主審を務め、誰もが認める日本の第一人者だ。昨年のJリーグチャンピオンシップ第2戦のレフェリーぶりは、ほれぼれとするほどすばらしかった。そんな岡田さんでも、ちょっとしたことで「理想の試合」にもっていくことができない。レフェリングというのがいかに難しいものであるかがわかる。
日本には現在、約90万人の選手とともに、約13万人の有資格審判員がいる。その頂点に立つのが天皇杯決勝戦での審判である。「元日に国立競技場のピッチに立つこと」は選手だけでなく審判としても夢なのだ。
岡田さんの「五年連続」自体大変な記録だが、実はそれを上回る記録をもつ人がいる。86年、90年と2回のワールドカップで審判を務めた高田静夫さん(現在日本サッカー協会審判委員長)だ。高田さんは、7年連続して元日に天皇杯決勝戦の主審を務めた。
天皇杯決勝戦の主審に指名されるのは、日本最高の審判と認められた証拠でもある。自分の「本業」をもちながら、高いレベルのパフォーマンスを続けるのは、並大抵のことではない。しかし岡田さんは、「高田さんの記録に追いつきたい」と語る。あと2年間、日本のナンバーワンと認められれば、それは岡田さんの最大の目標である2002年ワールドカップ出場への大きな足がかりになるからだ。
2000年は、日本のサッカーにとってこのうえなく重要な年だ。2002年を目指す日本代表がいよいよ本格的にスタートを切る。9月のシドニー・オリンピックの成果は2002年に直結するだろう。そして大会準備の面でも、いろいろなものが具体的に見えてくる。選手としてもファンとしても、この年をどう過ごすかでいろいろなことが決まってくるはずだ。
それは審判員も同じだ。岡田さんに追いつき、追い越そうと、たくさんの審判員が努力を続けている。2002年に向けてのそうした切磋琢磨のなかから、新しい世紀の日本サッカーが生まれてくるように思う。
(2000年1月5日)
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