サッカーの話をしよう

No.304 輝く「マシューズ伝説」

 サー・スタンレー・マシューズの話をしたい。
 2月23日に亡くなったイングランドの伝説的スターだ。1915年2月1日生まれ、ちょうど85歳だった。
 「マシューズ伝説」は、彼が50歳の誕生日を5日過ぎた日にイングランドのプロ1部リーグのグラウンドに立ったという1点だけでも十分衝撃的だ。この最年長出場記録は、もちろん、今日も破られてはいない。同じ年、彼はエリザベス女王から「ナイト」の称号を授けられ、「サー・スタンレー」となった。
 理髪師であり、ボクサーでもあった父から譲り受けた頑健でそして俊敏な体を利して、マシューズは17歳でデビュー、19歳のときには早くもイングランド代表に選ばれている。

 ポジションは「右ウイング」。いちばん右外に位置するFWだ。タッチライン際でボールを受け、ゆっくりと相手の左バックに向かってドリブルを始める。そして左に大きく踏み出し、相手選手の重心を右足のかかとにかけさせた瞬間、右足のアウトサイドで右外に抜いて出る。
 33年間、彼はこのフェイントひとつでやり通した。観客も相手DFも、マシューズが何をするか知り尽くしていた。しかしそれでも止められなかった。それが第2の「伝説」だ。
 彼はストーク・シティでプロになり、32歳のときにブラックプールに移籍した。すでに15年を超す輝かしい経歴がありながら、マシューズが獲得したタイトルといえば、1933年、ストーク時代の2部リーグ優勝だけだった。しかしブラックプールでも不運続きだった。2回にわたってFAカップ決勝で涙をのんだのだ。

 53年、マシューズはブラックプールで3度目のFAカップ決勝に出場した。相手はボルトン。全イングランドの人びとが、38歳のマシューズに初のメジャータイトルを取らせたいと祈った。しかし強豪ボルトンの攻撃は容赦なかった。後半10分までに1−3とリードされ、チームには絶望感が漂った。
 それをはね返したのがマシューズのプレーだった。ボールをもらうたびに相手をうち破り、次つぎとチャンスをつくったのだ。ブラックプールはモーテンセンの2点で終了1分前に追いつき、ロスタイムにはマシューズのセンタリングからペリーが決めて4−3で逆転に成功する。FAカップ決勝史上、2点差をひっくり返したのは、初めてのことだった。この試合は「マシューズの決勝」と呼ばれ、長く人びとの記憶に残ることとなった。第3の「伝説」である。

 1961年、46歳のマシューズはストークに戻った。当時のストークは、再び2部でもがいているところだった。英雄の帰還に、ストークのファンは燃え立ち、1万を割っていた観客数はすぐに3万5000を超えた。マシューズは超人的なプレーを見せ、翌62/63年シーズンにストークを2部優勝、1部復帰へと導いた。
 この年、彼は2度目の「年間最優秀選手」に選ばれている。48年に始まったこの賞の最初の受賞者こそマシューズだった。何のタイトルもない33歳のマシューズに何らかの栄誉を与えようと新聞記者たちが考案したのが、この賞だったといわれる。それを15年後に再びマシューズが取るとは、想像を絶することだった。
 「私は、たばこはもちろん、酒も一切飲まなかった。野菜と果物中心の食事を摂り、毎日朝6時に起きてしっかりとトレーニングをした」
 33年間という驚異的なプロ生活には、何の秘密もないと、彼は語った。そしてまた、その現役生活を通じていちども、退場はおろか警告さえ受けなかったことも、「マシューズ伝説」の重要な一部だった。

(2000年3月2日)
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