サッカーの話をしよう
No.317 モロッコの血管にはサッカーが流れている
「おめでとう、日本のサッカーはすばらしかったわよ」
世界チャンピオンのフランスと2−2で引き分けながら惜しくも決勝進出を逃した翌朝、ホテルのティールームでウェートレスから声をかけられた。
レストランだけではない。町を歩くと、人びとが入れ代わり立ち代わり寄ってきては、日本チームをほめてくれる。フランス戦の日本代表は本当に良かったから、いい気分で「ありがとう」と応えた。
アフリカの「左肩」に位置するモロッコ。その国民は、本当にサッカーを愛している。日本とフランスとの試合でのプレーに対する反応を見ながら、つくづくそう感じた。
モハマド5世スタジアムを埋めた観衆は、ひとつひとつのプレーに見入り、反応を示す。好シュートや好パスの場面だけではない。日本の西沢が胸でボールを受け、そのまま右足で浮かせてマークするブランをかわしたシーンにも沸いたが、そうした「巧技」の場面だけでもない。
たとえば、DFがタッチライン際に追い詰められたとき、機転をきかせて逆サイドでフリーになっている味方に大きなクロスパスを送って窮地を脱した場面でも、場内割れんばかりの拍手が送られるのだ。
逆に、高名な選手がつまらないミスをすると、激しい口笛攻撃が待っている。
本当にサッカーをよく知り、心から試合を楽しんでいることがよくわかる。こうした観衆の存在が、選手たちに緊張感を与え、成長促進剤になっている。
モロッコという国を人にたとえるなら、その血管には「サッカー」という真っ赤な血が流れているに違いない。世界でも有数の「サッカー国」であるという強い印象を得た。
モロッコは、この7月に決定される2006年ワールドカップの開催立候補国のひとつでもある。招致資料によれば、国内の11都市に12の近代的なスタジアムを用意(うち10は新設)し、大会に備えるという。モロッコは過去2回、86年大会と98年大会でも開催立候補し、いずれも僅差で敗れてきた。「三度目の正直」は、昨年7月に亡くなったハッサン2世前国王の悲願であると同時に、「サッカー国」モロッコの、国民を挙げての願いでもある。
2006年大会には、モロッコのほか、ヨーロッパからドイツとイングランド、南米からブラジル、そしてアフリカからも南アフリカ共和国が正式に立候補している。モロッコは、これまでにいちどもワールドカップを開催したことのないアフリカでの開催の「正義」だけでなく、なぜ南アでなくモロッコなのかも訴えなければならない。
現在のモロッコの経済状態はけっして良くはない。そのなかで10ものスタジアムの建設を決めたのは、西アジアから北アフリカにかけて広がるアラブ民族諸国の応援があるからのようだ。「地中海とアラブ諸国の代表」が、南アに対する「モロッコの正義」となっている。
しかし現代のワールドカップは、サッカーを心から愛する国民と立派なスタジアムがあれば開催できるという単純なものではなくなってしまっている。十分な数の国際空港とホテル、道路や鉄道・国内航空路などの交通網、そしてテレビや新聞報道を支える通信設備の整備など、厳しい開催条件があるからだ。
こうした「インフラストラクチャー」(社会資本)の整備は、スタジアム建設の数十倍にのぼる巨額の投資と、長い時間を必要とする。わずか6年間で成し遂げられる仕事ではない。
モロッコはすばらしい「サッカー国」だ。しかしその熱意といくつもの「正義」にかかわらず、ワールドカップ招致は今回も難しい状況であると考えざるをえないのだ。
(2000年6月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。