サッカーの話をしよう
No.323 アンフェアな行為に疑問
ずっと気になっていたことがある。サッカーで最も美しい習慣のひとつが、最も醜い行為につぶされかけていることだ。これまで日本ではあまり見かけなかったが、やはり、その行為をするチームが現れた。
先週土曜日に東京の国立競技場で行われたヴェルディ川崎対鹿島アントラーズの試合の1場面から話を始めたい。
問題のシーンは後半7分ごろに起こった。中盤左で前線にパスを出したアントラーズのビスマルクがプレー直後にからまれ、グラウンドに倒れた。しかしアントラーズはプレーを続け、右に回って名良橋がシュートを放った。ボールはヴェルディのGK本並の正面に飛び、難なくキャッチ。ここで本並はビスマルクがまだ倒れているのを見て、ボールを右タッチのハーフライン近くにけり出した。ビスマルクの治療をするためにプレーを中断させたのだ。
ビスマルクが倒れたのだから、本来ならアントラーズの選手たちがボールを外に出すべきだった。しかし0−0の状況で余裕がなかったのか、それとも、わかっていても、プレーを中断する必要がないと思ったのか。
それでも、本並がボールをけり出してくれた時点で状況を理解できたはずだ。しかしアントラーズが選んだのは、本並の好意を逆手にとって勝利を得ようとすることだった。
しばらくしてビスマルクが立ち上がり、アントラーズのスローインで試合が再開された。 ボールを受けたのはFW平瀬。彼はボールをヴェルディ陣の奥深く、コーナー近くにけり出した。そして、チームメートに押し上げるように指示し、ヴェルディのスローインにプレッシャーをかけたのだ。狙いは当たり、アントラーズがボールを奪って平瀬に回し、シュートがきわどくヴェルディ・ゴールを襲った。
プレー中に誰かが起き上がれないようなケガをしたと思ったら、それがどちらのチームの選手でも、ボールを外に出してプレーを止める。治療が終わると、試合は相手チームのスローインになるのだが、すぐにボールを出した側のチームに戻される。それは、サッカーで最も美しい行為だ。そこには、「相手チームも『敵』ではなく、いっしょに試合をしている『仲間』だ」という、フェアプレーの根源的な精神が表現されている。
しかし数年前から、相手の好意を利用して試合を有利にしようという傾向が出てきた。98年ワールドカップでは、平瀬やアントラーズとまったく同じプレーをするチームがいくつもあった。ただ日本では、幸いなことにこうしたプレーはこれまであまり見なかった。
私はアントラーズにはっきりと聞きたいと思う。あのプレーは、何かの勘違いで起こったことなのか。それとも、アントラーズ、あるいはトニーニョ・セレーゾ監督が、そうするように指導しているのか。
「世界でやっているのだから、日本だけやらなければ、国際試合で困ることになる」
このような意見には、私は絶対に賛成しない。日本の選手は、こういうことをするチームがあることを知っているだけでよい。相手がそういうチームなら、そんなことで失点をくらわないように注意すればよい。
どんなに高度なテクニックを駆使して見事なプレーを見せても、そこにフェアプレーがなかったら、感動を与える美しいサッカーにはならない。逆に言えば、サッカーというゲームの魅力を殺すには、アンフェアなプレーをすれば簡単だということだ。そんな試合には、誰も見向きもしなくなるだろう。
勝利を追い求めて全力を尽くすことは、それ自体がフェアプレーの重要な要素だ。しかしそのために何をしてもいいわけではないのだ。
(2000年7月19日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。