サッカーの話をしよう
No.334 うわべだけの「サッカー狂国」日本
アジアカップ取材のためにレバノンに来ている。
すぐ南のイスラエルを巡る中東情勢が緊迫しているはずなのだが、レバノンの首都ベイルートではそうした空気はまったく感じられない。平和そのものの雰囲気のなかで、人びとはレバノン・チームの活躍を楽しんでいる。
そして日本国内でも、アジアカップに対する注目が急速に高まっていると聞く。14日、紛争地域に近い南部のサイダで行われた初戦で、日本は前回優勝の強豪サウジアラビアを4−1の大差で下した。それが注目に火をつけたらしい。
9月のシドニー・オリンピックでは、サッカー中継の視聴率の高さが大きな話題となった。40パーセント、50パーセントという高い視聴率を記録した試合もあったと聞いて、本当に驚いた。
金メダルをかけた試合ではない。グループリーグの試合のときに、テレビの生中継を見るために会社を早退した人が続出したという。たしかに、そうした人がいなければ、怪物番組のような視聴率は成立しないだろう。
ことしの5月には、日本代表のフィリップ・トルシエ監督の契約問題に関する特報が一般誌の1面を飾るという「事件」があった。それは推測の域を越えない記事であったにもかかわらず、社会的な関心を呼ぶ話題となった。
これらの現象を見ると、日本はとんでもない「サッカー狂国」のように思える。しかし実際には、それとほど遠い国であることは言うまでもない。
オリンピック代表を含む「日本代表」への関心は、驚くほど高い。しかしその他のサッカー、たとえばJリーグや天皇杯などに関しては、ほとんど注意を払われていないのだ。
「経済が破綻して、日本全体が自信を喪失しかけている時代に、サッカーだけはどんどん世界のレベルに近づき、世界の強豪と対等な戦いができるようになってきている。日本人は、そこにせめてもの夢をかけているのではないか。だから代表の試合に熱狂するのではないか」
こう分析する人もいる。サッカー自体が愛され、熱狂的に受け入れられているわけではない。日の出の勢いで力を伸ばし、国際舞台での成績を向上させている日本代表の「勢い」を楽しんでいるだけというのだ。
国内の「サッカー・エンターテインメント」であるJリーグは、日本代表のスターたちが活躍する舞台でもあるのに観客数が伸びず、視聴率も低迷したままだ。それは上の分析の妥当性を十分に裏付けている。
日本代表に対する国民的な関心は、必ずしも、中田英寿、名波浩、中村俊輔、稲本潤一、高原直泰らの才能、そしてそれをチームプレーに結びつけたサッカーの美しさへの誇りではないのだ。世界の強豪と対等に戦い、勝利を収めることだけが、重要な要素なのだ。
こうした状況は、サッカー選手やファンにとって不幸であるばかりか、サッカーそのものにとって危険な状態といえる。永遠に成長を続けることはできないし、国際舞台での成績が伸び悩みになるときは必ずくるものだからだ。
日本代表に対する関心が高いうちに、サッカーそのものに対する理解を広め、深め、そして日本選手たちの才能の価値を日本中の人びとに正確に認識してもらわなければならない。
その責務は、私もその一部をなすマスメディアに負わされている。個々の試合の結果にとらわれず、世界のサッカーのなかでの日本のポジションを正確にとらえ、日本代表のサッカーが世界のサッカーファンにどう歓迎されるものなのかなど、しっかりとした「報道」が、いまほど求められている時期はないように思う。
(2000年10月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。