サッカーの話をしよう
No.339 昇格と降格
問題。
1965年に日本サッカーリーグが誕生し、日本に「全国リーグ」ができて以来、その「トップリーグ」から落ちたことのないチームがただひとつだけある。それはどこか。もちろん、日本リーグ時代の企業チームと現在のJリーグ時代のプロクラブを、連続した歴史をもつひとつのチームととらえての話だ。
先週土曜日、柏でレイソルと川崎フロンターレの試合を取材した。
すでに試合前、夕方に行われていた試合でジェフ市原が延長戦で勝利をつかんだことが伝えられていた。それは、事実上フロンターレのJ2降格が決定したことを意味していた。この日勝てば、残り試合の結果次第では勝ち点で追いつくことも可能だったが、得失点差の差は絶望的に大きかった。
小林寛監督は今季3人目の監督。GK浦上(1)とDF奥野(4)を除くと、「ひとけた」の背番号はなく、先発の11人中8人までが20番を超す大きな番号をつけていたことにも、フロンターレが歩んできた今季の苦しみが表れていた。
しかしこの日のフロンターレは、そんなことは微塵も感じさせないプレーを見せた。しっかりとした守備をベースに、優勝争いをするレイソルの弱点をつく攻撃を繰り出した。プレー内容も選手たちからあふれ出る闘志も、とても降格が決定的になったチームとは見えなかった。
サポーターも元気だった。この絶望的な状況のなかで川崎からやってきた数百人のサポーターは、まるで首位攻防戦のような声援を送りつづけた。
試合は、前半ロスタイムのゴールでレイソルが1−0で勝った。この瞬間、フロンターレのJ2降格が正式に決まった。
しかし選手もサポーターも立派だった。選手たちは胸を張ってサポーターにあいさつし、サポーターたちは試合中にも劣らない声援で、これからもチームとともに歩むことを示した。
翌日にはJ2の最終節が行われ、浦和では超満員のサポーターの前でレッズが10人になりながらもVゴールで勝利をつかんだ。そして激しく競り合ってきた大分トリニータを振り切ってJ1昇格を決めた。
レッズも今季、のたうち回った。J2全40試合、延々と続くリーグ戦のなかでリズムを崩し、優勝争いは絶望的になり、逆に大分に追い上げられて余裕を失った。10月には、危機感をもった横山謙三ゼネラルマネジャーが総監督に就任、自ら直接指揮をふるうという緊急態勢をとらなければならなかった。
トリニータにとっては、2年連続の無念だった。昨年は最終日のロスタイムで追いつかれて引き分け、追っていたFC東京に逆転でJ1昇格をさらわれた。そしてことしは、最終戦を1−0の勝利で終えて浦和の試合の結果を待ったが、やはりあと一歩及ばなかった。
世界には数多くのクラブがある。しかしそのなかで、降格や2部暮らしを経験したことのないクラブは、ほんのひとにぎりしかない。名門、強豪といわれるクラブでさえ、長い年月のなかでは例外なく苦しい時期を経験している。
昇格も降格もサッカーの一部である。選手もクラブもファンも、それを受け入れ、それぞれの立場で懸命にやっていくしかない。フロンターレの選手やサポーター、そして浦和の駒場スタジアムを埋めた2万の観衆を見ながら、Jリーグにもそうした「常識」のようなものが育ちつつあるのを感じた。
最初の「問題」の正解は「ジェフ市原」(日本リーグ時代は古河電工)。ここ3年、すっかり「残留争い」の常連となったジェフだが、ついに20世紀の間は日本のトップリーグだけで過ごしたことになる。
(2000年11月22日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。