サッカーの話をしよう

No.342 川口能活 勝敗を超越した「英雄」

 ピッチの中央につくられた表彰台の上で、鹿島アントラーズの選手たちが喜びを全身で表している。横浜F・マリノスの選手たちが無念の表情で立ち尽くし、それを見つめている。
 その一人ひとりの間を、黄色いウエアの選手が回って言葉をかけている。選手に対してだけではない。スタッフにも、ひとりずつ話しかけている。マリノスのGK川口能活だった。
 12月9日に行われたJリーグ・チャンピオンシップの第二戦は、川口にとって痛恨の試合だっただろう。前半だけで3点を奪われた。1点目は破られてはいけないニアサイドを破られた。2点目は防ぎようがなかった。しかし3点目は、中田浩二が入れたクロスパスのミスキックを、楽々とつかんだと思った瞬間、ボールがぽろりと手からすべってゴールにはいった。
 守備力を誇るアントラーズを相手に、3点のビハインドはあまりに大きい。後半、マリノスは猛攻をかけたが、差は縮まらなかった。川口は、その責任を強く感じていたに違いない。

 川口にとっての2000年は、「耐える」シーズンだったのではないか。
 Jリーグでは第1ステージで優勝を飾ったが、圧倒的な強さを示しての優勝ではなかった。セレッソ大阪との決戦で苦杯を喫して首位の座を奪われた。最終節に川崎フロンターレがセレッソに勝ったおかげで、ようやく手にしたタイトルだった。
 日本代表では、さらに忍耐が必要だった。99年には名古屋グランパスの楢崎正剛と交互にゴールを守った川口だったが、ことしは大事な試合にはことごとく楢崎が起用された。オリンピックの「オーバーエージ」枠も、楢崎のものだった。
 その楢崎がオリンピックで負傷して、アジアカップの第1GKの座が川口に回ってきた。レバノンで、川口は気迫にあふれた守備を見せた。軽率な場面もあったが、落ち着きと、DFラインの統率は光るものだった。

 そして、チームが川口の活躍を本当に必要としたときには、見事にその期待に応えた。サウジアラビアの猛攻を受けた決勝戦、川口は磨きぬいた感覚を総動員してゴールを守り抜いた。鳥肌が立つような守備で、川口は日本に「アジア・チャンピオン」のタイトルをもたらした。
 しかしマリノスにとってことし最も重要な試合で、彼は力を発揮できなかった。
 「いつもうまくいくわけではない」。試合後、川口はこんな言葉を残した。投げやりのように聞こえたかもしれない。しかし私には、彼の成長の証であるように思えた。
 GKとして体格に恵まれない川口は、それを補うためにストイックなまでのトレーニングと摂生を続けてきた。しかし結果が悪いときには、気持ちのもって行き場がないように見えた。
 しかし耐えることを強いられた1年間は、彼の肩から力を抜き、「最善を尽くして、たとえつらいものであっても、結果を受け入れる」という心境をもたらしたのだろう。それが、試合後のコメントだったように思う。

 アントラーズが表彰を受けている間に川口がチームメートの間を歩きながらかけていたのは、謝罪の言葉のようだった。
 「ごめんな」「すみません」。
 そうと知れたのは、声をかけられた選手やスタッフの大半が、彼の言葉に驚き、強く首を振ってその言葉を否定していたからだ。そしてだれもが彼を抱きしめ、健闘をたたえた。数年前の川口なら、悔しさに泣き崩れていただろう。しかしこの日、謝罪の言葉を繰り返しながらも、川口は驚くほど堂々としていた。
 マリノスはアントラーズに負けた。川口はゴールを守りきることができなかった。しかし私が川口の姿に見たのは、勝敗を超越した「英雄」の姿だった。

(2000年12月13日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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