サッカーの話をしよう
No.345 あってはならないゴール
「あってはならないゴール」だったと思う。
元日の天皇杯決勝、鹿島アントラーズ対清水エスパルス。アントラーズの2点目だ。
アントラーズが先制し、エスパルスが2度追いつき、そして延長にはいってアントラーズがVゴールで勝負を決めた。
アントラーズの1点目は、ゴール前のFKをMF小笠原が直接決めたもの。エスパルスは布瀬直次主審がプレーを止めたものと勘違いし、まったく準備をしていなかった。主審の処置にも、小笠原のプレーにもまったく問題はなかった。むしろ、見事な判断とプレーだった。
しかし2点目には、大きな問題がある。
後半4分、アントラーズが右サイドでFKを得たところからプレーは始まる。
ビスマルクのキックにエスパルス・ゴール前で両チームの選手が激しく競り合い、ボールがはね返される。これをアントラーズが拾い、後方に回す。
そのとき、エスパルス・ゴール左前に、白いユニホームがひとり倒れていた。DFの市川だった。競り合いでどこか打ったのか、倒れたまま動かない。ボールがセンターサークル付近の小笠原に渡ろうとしたとき、布瀬主審は広島禎数副審の合図で市川の状態を確認し、ボールを外に出すよう小笠原に手でサインを出した。
再びゴール前にボールがはいれば、倒れたままの市川は非常に危険な状態となる。ボールを外に出すのが、サッカーの常識であり、良識である。
敢えて笛を吹いて止めなかった布瀬主審の判断は、当を得たものだったと思う。主審が止めるよりも、選手がプレーを切るほうが、より「サッカー的」で、好ましい形だからだ。
しかし次の瞬間、小笠原は、そのままゴール右にロングパスを送っていた。ボールは残っていた鈴木の頭を越えたが、その裏に走り込んだ熊谷が角度のないところから強烈なシュート。GKがはじき、鈴木が押し込んだ。このプレーの間、市川はゴール前に倒れたままだった。
その瞬間、頭をよぎったのは、98年ワールドカップ準々決勝フランス対イタリア戦、延長終了直前のフランスのプレーだった。イタリア・ゴール前での競り合いでイタリア選手が倒れたままなのを見たフランスのMFプティが、センタリングする代わりに、ボールをタッチラインに出してしまったのだ。
試合の「重要性」は大きな問題ではないことが、この例でもわかるだろう。プティは、目の前にかかった勝敗、ワールドカップ準決勝に勝ち進む決勝ゴールのチャンスよりも、相手選手の安全を気づかったのだ。
誰にもできる行為ではない。しかし上体をすっと立て、顔を上げてゴール前の状況を見たまま、左足の裏でボールをラインの外に出したプレーは、ほれぼれするほどカッコ良かった。そして彼の行為は、世界中のファンと少年少女に強烈なメッセージとなって伝わった。
「タイトルを目指して戦う相手という以前に、僕たちはサッカー選手という仲間なんだ」
プティのような成熟した「サッカー人」の存在こそ、フランスがワールドカップを獲得できた最大の要因だったと思う。
主審の合図を無視した小笠原のロングパスを目で追いながら、私は心のなかで叫んだ。
「そんなに余裕のないことでどうするんだ!」
この日も、小笠原はすばらしい才能をもった若者であることを示した。しかしこの場面で当然のようにボールを外に出せるだけの人間的な広さが伴わなければ、その才能が真に成熟のときを迎えることはないだろう。
エスパルスのためにではない。サッカー自体と、何よりも、小笠原のために、「あってはならないゴール」だったと思うのだ。
(2001年1月10日)
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