サッカーの話をしよう
No.361 サンチャゴ・ベルナベウの力
南スペインのコルドバ市で行われたスペイン対日本の親善試合取材の帰途、マドリードで短時間の空きがあったため、「レアル・マドリード」クラブの「サンチャゴ・ベルナベウ」スタジアムを訪れた。
世界でも屈指の名スタジアムのひとつといっていいだろう。82年ワールドカップ・スペイン大会決勝戦の舞台。ことし7月には、「クラブ世界選手権」に出場するジュビロ磐田が、初戦をヨーロッパの王者レアル・マドリードとここで戦うことになっている。
スペインの首都マドリードの北部、多くの省庁や美術館が集まるカステリャーナ大通りに面した一等地に、巨大なスタジアムがそびえている。日本でいえば、東京の霞ヶ関のような場所である。
1902年創立のレアル・マドリードは、20年代からここに隣接する土地に1万5000人を収容するスタジアムを所有していた。当時すでにスペイン屈指の強豪クラブのひとつだったが、優勝回数は同じマドリードの「アトレチコ」に及ばず、抜きん出た存在というわけではなかった。
内戦後の1940年代に会長になったサンチャゴ・ベルナベウは、クラブを発展させるために新スタジアムの建設を決意、3年間を費やして12万人収容の偉容を誇るスペイン最大のスタジアムが完成した。竣工は1947年12月のことだった。
そして50年代、レアルは世界一のクラブとなった。スペイン・リーグで4回の優勝を果たし、55年に始まったヨーロッパ・チャンピオンズ・カップでは第1回から5連覇という偉業を達成したのだ。上から下まで真っ白なユニホームのレアルは、スペインだけでなく、ヨーロッパ・サッカーの伝説となった。
82年、スペインがワールドカップを迎えたときには主会場となり、三方のスタンドに巨大な屋根がとり付けられるなど、大改装が行われた。その後、四隅の外部には階段を使わずに上部スタンドに昇ることができるらせん状のスロープがつくられ、さらに近代的なスタジアムとなった。
スタンドにはいると、その大きさにあらためて圧倒される。全個席になった現在でも、10万を超す収容力をもっているのだ。ラインぎりぎりのところから立ち上がったスタンドが、4層に積み重なってピッチを取り囲んでいる。満員になったら、その威圧感は、世界のどのスタジアムにもないものになるだろう。
ラテン系の国ぐにのスタジアムにつきものの「堀」がないことも、大きな特徴といえるだろう。実は、このスタジアムのピッチは、地表から10メートルも下がったレベルまで掘られている。そのわずか1メートル下に地下鉄10号線が走っているため、堀をつくることができなかったのだという。堀がないことがさらにスタンドとピッチを近づけ、威圧感を増している。
スタンドに立って思ったのは、前日、前半だけの出場ながら格違いのプレーで日本守備陣を手玉にとったスペイン代表FWラウルのことだった。彼は子どものころからレアルに所属し、17歳のときからここで10万の観衆に囲まれてプレーしてきた。
国内リーグのホームゲームだけで年に19試合。ヨーロッパの「チャンピオンズ・リーグ」などを含めると、年間に30数試合を、ホームの大観衆が生む巨大なプレッシャーのなかで戦っているのだ。その経験が、どれほどラウルの力となっているだろうか。
それが「伝統の力」というものなのだろう。1試合平均の観客数が1万5000人を超すかどうかという日本のJリーグを考えながら、私たちの前にある「道」が、まだまだはるかであることを思わずにはいられなかった。
(2001年5月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。