サッカーの話をしよう
No.372 小野が運ぶ喜びのメッセージ
小野伸二の血管にはサッカーが流れている。その赤血球は、白黒のサッカーボールに違いない。
今週土曜日に広島で行われるサンフレッチェ戦を最後に浦和レッズを離れ、小野はオランダ、ロッテルダム市の名門クラブ、「フェイエノールト」に移籍する。
先週、ジェフ市原を迎えての「ホーム最終戦」、別れを惜しむファンの声援に、小野は見事なプレーで応えた。初めてプレーするFWというポジションから、自由自在に動いて攻撃を組み立てた。今季絶好調のジェフも、前半なかばを過ぎて小野が「フル稼動」を始めてからは、沈黙せざるをえなかった。
静岡県沼津市で生まれた小野は、幼稚園時代にキックの魅力に取りつかれ、自宅近くの空き地のコンクリート壁に向かって、毎日ひとりでボールをけりつづけた。やがて小学生時代に「サッカー」というゲームと出合い、チームで行う試合のなかでゴールを決めること、試合に勝つことの喜びを覚える。
沼津市の今沢中学校から清水商業高校時代にかけて、小野はテクニックを磨き上げ、「天才」の名をほしいままにした。各年代の日本代表にも、自動的に選ばれ続けた。
98年のJリーグデビューは、まさにセンセーションだった。体も顔も左を向いていながら、ワンタッチで右にいる味方に出すパスは、ファンを熱狂させた。Jリーグで2試合プレーしただけで日本代表に選ばれ、6月にはワールドカップ・フランス大会にも出場した。
それから3年半、ワールドユース選手権準優勝、左ひざの大けが、レッズのJ2降格、相次ぐ故障、そして「(ワールドカップへの)最後のチャンス」と自ら言い切って臨んだ先月のコンフェデレーションズカップ準優勝などの「アップダウン」を経験した。そのなかで、小野のサッカーはぜい肉がそぎ落とされ、よりシンプルになった。
ひとりでボールをけることに熱中していた幼年時代、相手を抜き、ゴールを決めて、飽くことなく勝利をつかもうとした少年時代、そして、トリッキーなパスを駆使して相手の逆をとることを楽しんだ青年時代。そうした時期を経て、小野はチームの勝利のためのプレーに徹する成年期を迎えた。それは、一選手の成長の跡であると同時に、サッカーという競技の、発展の歴史そのものでもあった。
先週のジェフ市原戦の決勝ゴールは、小野のFKが相手DFに当たり、大きくコースが変わりながら、ゴールぎりぎりにとび込んだものだった。
「チームメートや、周囲で僕を支えてくれた人の力が、あのボールをゴールに入れさせたのだと思います」
試合後、小野はそう振り返った。その言葉に嫌味はなく、ごく自然に聞こえた。
「昨年、J1への昇格を決めた土橋さんのVゴールのときにも、そう感じました」
ひとりでボールをけり、ひとりで勝利を決めてきた少年は、「チームゲーム」であるサッカーという競技の本質をつかみ、見事に成熟したサッカー選手になった。
小野の血管に流れる赤血球、サッカーボールは、エネルギーを生む酸素を体中に運ぶだけではない。見ている者に喜びを運び、元気を運ぶ。そして、スタジアムいっぱいの笑顔を生む。
新天地オランダでも、いくつもの試練や壁が待っているだろう。しかしまちがいなく、時を経ずして、小野のプレーは人びとの心をつかむだろう。そして、フェイエノールトの地元ロッテルダムだけでなく、全オランダ、そして全ヨーロッパに、「サッカーの喜び」のメッセージをもたらすに違いないと、私は信じている。
(2001年7月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。