サッカーの話をしよう
No.373 明石市の花火大会事故は他人事ではない
兵庫県明石市の花火大会で起きた惨事のニュースを見て、「他人事ではない」と感じたのは私だけではないはずだ。
狭い歩道橋に一挙にたくさんの人が詰め掛け、しかも進もうとした方向がぶつかり合った。その「前線」にいた人びとが押しつぶされた。重軽傷者は100人を超すというが、命を落とした人が2歳から9歳の子どもと、お年よりの女性だったことが、やりきれない思いにさせる。「弱い者」が犠牲になったのだ。
「他人事ではない」と思ったのは、この事件がサッカー場で繰り返されてきた惨事とそっくりだからだ。
1985年にベルギーのブリュッセルで起こった「ハイゼル事件」では、相手チームのサポーターに襲いかかられて逃げようとしたイタリア人ファンが、わずか高さ1メートルの壁に押し付けられて39人もの死者を出した。89年にイングランドのシェフィールドで起こった事件では、95人もの人が亡くなった。入場券をもたないファンが入場ゲートを破って場内に突進したことが原因だった。
昨年からことしにかけては、アフリカ各地で同様の惨事が繰り返されている。1年足らずのうちに200人以上がサッカー場で命を落としているという。あってはならないことだ。
大量虐殺のために爆弾やマシンガンが使われたわけではない。「凶器」は人間だった。人間の集団と、群集心理と、そして安全対策の甘さだった。まさに「人災」だった。
日本も例外ではない。95年のJリーグでこんな事件があった。柏で行われたレイソル対ガンバ大阪。試合後、ゴール裏にいたガンバのサポーターが、レイソルのファンに三方を囲まれて襲われたのだ。女性を含む約20人のガンバ・サポーターは、ゴール裏の防球ネットに詰まって逃げ場を失った。最終的にはネットの一部をはがして逃がしたのだが、非常に危険な状態だった。
暴力的な行動に出たレイソル・ファンは、わずか数人だった。しかし群集心理からか、彼らの周囲にいたファンも、口々にののしり、それがガンバ・サポーターに恐怖を与えた。警備員は数十人いたが、「押さないでください」と繰り返すだけで、押し寄せるレイソル・ファンを排除することができなかった。
「人災」の危険は、サポーターの暴走だけではない。地震や火災のときに、実際どうなるか。恐慌状態に陥った観客が短時間に出口に集中したら、あるいは下り階段で押されて誰かが倒れたら、とんでもないことになる。実は、地震や火災よりも、こうした「人災」のほうが怖いのだ。
ことしにはいって次つぎと完成したワールドカップ用のスタジアムの多くは、試合を見やすくしようと、観客席の傾斜を急にしている。それも危険な要素だ。
ワールドカップでは、たくさんの外国人観客をはじめ、そのスタジアムには初めてという観客も多いだろう。しかし観客の半数は、通常Jリーグを見ている人びとのはずだ。そうした人びとが、緊急時にも冷静な行動を取れば、スタジアム全体でパニックは抑えることができるはずだ。
Jリーグの各スタジアムでは、場内放送などで緊急時の心構えを告知している。しかし誰も真剣に聞いているようには見えない。ことしの第2ステージのうちに、各スタジアムでなんどか避難訓練を実施しておくべきではないか。大変かもしれないが、人命には代えられない。非常に有用な経験となるはずだ。
明石市の事件では、主催者の見通しの甘さや、警備の不手際が指摘されている。だがどんなに正確に原因を突き止めても、いちど失われた命は戻ってはこない。
(2001年7月25日)
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