サッカーの話をしよう
No.381 ワールドカップに課せられたテロ対策
国際サッカー連盟(FIFA)のホームページを開くと、感動的な写真が目に付いた。先週末のドイツ・ブンデスリーガの試合前に、シャルケ04とボルシア・ドルトムントの選手たち、そして3人の審判、計25人が手をつないで輪をつくり、黙祷を行っている写真だった。
アメリカで起こった同時多発テロの犠牲者に対する祈りが、世界中に広がっている。先週末に世界の各地で行われたサッカーのリーグ戦でも、試合前に選手と観客とで黙祷が行われたところが多かったのではないかと思う。
あの事件がこれほどまでに世界の人びとの心に衝撃を与えたのは、人類がかつて体験したことのない恐ろしさを感じたからに違いない。ある日突然、ただの交通機関である旅客機が大型爆弾に変身し、空から襲いかかってくる。数人のテロリストがわずか数万円の航空券を買えば、いつでも起こりうる事件。これほどの恐怖があるだろうか。
「ワールドカップはだいじょうぶかな」
多くの人からそんな質問を受けた。
テロリストたちが、その存在と主張をアピールしようとすれば、世界的に注目を集めるイベントを狙うことは十分考えられる。かつてはそうしたテロが多かった。
1972年には、ミュンヘン・オリンピックが狙われ、当局との間で銃撃戦まで行われて犠牲者が出た。2年後に同じ西ドイツで行われたワールドカップは、厳戒態勢のなかの大会だった。スタジアムの周辺には軍用車がずらりと並び、機関銃で重武装した兵士たちが要所を固めていた。
軍事政権下のアルゼンチンで行われた78年大会はもちろん、90年イタリア大会まで、スタジアムから機関銃をもった軍隊の姿が消えることはなかった。ワールドカップは、長い間、テロの可能性に脅かされてきたのだ。
しかし今回の事件は、テロリストたちがある決意をすれば、どんなに武装警戒をしても防ぎようのない手法があることを示してしまった。
「ワールドカップはだいじょうぶか」という質問には、「現状では、あんなテロをやられたらどうしようもない」としか答えようがない。
FIFAと開催国の契約により、ワールドカップの「セキュリティー(保安)」確保の責任は、開催国にあるということになっている。
これまで、日韓両国組織委員会のセキュリティー担当者の中心的関心は「フーリガン」問題にあったのではないだろうか。サポーターの暴徒化をどう防ぐかという問題である。
それは依然として重大な問題である。しかしアメリカの事件後に開催される最初の巨大国際スポーツイベントの開催国としては、明確な「テロ対策」を打ち立てる必要があるはずだ。
これからの国際的な協力のなかで、テロリストたちをどこまで追い詰め、無力化させることができるかが、非常に重大なポイントとなる。それに加え、日本と韓国は、組織委員会と政府が協力し、どのようなテロ対策の下に大会を開催するのか、一から検討し、世界に示す義務がある。
「テロが怖いから、もう飛行機に乗りたくない」というのは仕方がない。しかし「テロが怖いから、ワールドカップには行きたくない」という状況にしてはいけない。日韓両国で協力して、世界のサッカーファンが安心してサッカーを観戦にくることができる状況にしてほしいと思う。
世界中のファンが4年にいちど、心から楽しみにしているサッカーの祭典ワールドカップ。その「祭り」の場で、人命が危険にさらされるようなことなど、あっていいはずがない。
(2001年9月19日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。