サッカーの話をしよう
No.384 セントメリーズ・スタジアム
「ほらね、ここに私の名前もあるんだ」
誇らしげな笑顔でレンガ壁の一角を示したのは、警備のボランティアとして働くビル・ケインさん(60)だ。
日本代表がナイジェリアとの「ホームゲーム」を行ったイングランド南部サウサンプトンの「セントメリーズ・スタジアム」は、プレミアリーグ「サウサンプトンFC」のホームスタジアム。ことしの8月にオープンしたばかりの、イングランドで最も新しいスタジアムである。
サウサンプトンFCは70年に来日し、日本のファンにイングランド・サッカーの魅力をたっぷり見せてくれた。当時のエースであったロン・デービス、マイク・シャノンの、長身を生かしたヘディングの威力は抜群だった。
イングランド南部の最大の港湾都市サウサンプトン。悲劇のタイタニック号が出帆した港でもある。サウサンプトンFCが誕生したのは、1885年。「セントメリー教会」のYMCAのチームだった。以来、クラブは「セインツ(聖者たち)」と呼ばれることになる。そしてこのクラブが歴史の大半を「ホーム」として過ごしたのが、「ザ・デル」と呼ばれるスタジアムだった。
住宅地の真ん中に建設されたザ・デルは、イングランド・サッカーの魅力がいっぱいに詰まったスタジアムだった。スタンドからピッチまでの距離が近く、選手とサポーターは一体となって戦った。屋根を支える柱が何本もスタンド前に立っていたが、それも「イングランド・サッカー」のひとつの味だった。1969年には3万1044人の最高観衆を記録している。
しかしフーリガン撲滅のために、イングランドでは90年代半ばに観客席の全個席化が義務づけられた。ゴール裏の立見席が廃止された結果、ザ・デルの収容人員はわずか1万5300人にまで落ちてしまった。プレミアリーグでは最少の収容数だった。
これでは、ファンの期待に応えられないだけでなく、クラブの財政上も厳しい。サウサンプトンFCは「新しい家」への引越しを決意し、候補地を探し始めた。
ザ・デルは、都心から徒歩10分ほどの便利な場所にあった。郊外に出ればいくらでも土地はあるが、クラブは都心に近い土地を探した。ようやく見つかったのは、クラブ発祥の「セントメリー教会」があった場所の近くだった。
2000年6月に工事が始まり、わずか1年間で最新の設備を備えた3万2000人収容のスタジアムが完成した。360億円といわれる建設費は、ザ・デルの敷地の売却、クラブ・スポンサーの不動産業「フレンズ・プロビデント」からの出資(スタジアムの正式名称に企業名を入れる権利を得た)、そして借り入れ金でまかなった。
その借り入れ金をすこしずつでも返済しようと始められたのが、市民、ファンからの募金だった。一口30ポンド(約5400円)。応募者には、スタジアム外壁のレンガのひとつに名前と簡単なメッセージを入れてくれる。
ケインさんは自分の名前とともに「コックスフォード」という市内の住所名を入れた。他のレンガには、「がんばれセインツ」「生涯セインツ」「SFCよ永遠に」などのメッセージが見られる。
「いまでも募集しているよ。きみも1枚どうだい?」ケインさんはそういって笑った。
ロンドンからの列車がサウサンプトン中央駅に近づくと、左手に真新しいスタジアムの真っ白な屋根を見ることができる。クラブと企業と、そして市民が一体となって実現したセントメリーズ・スタジアムは、この町の新しいランドマークであり、同時に誇りとなっている。
ビル・ケインさん
(2001年10月10日)
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