サッカーの話をしよう
No.389 イングランド 隔離されない観客
「警告 緊急時を除き、観客がここを越えると違法となります」
ところどころに出入りのための切れ目がある高さ80センチほどの柵。それが、ピッチと観客席を隔てるすべてだった。その柵に、こうした「警告」の看板が大げさな様子でなく掲げられていた。
イングランド、サウサンプトンのセントメリーズ・スタジアム。しかしこのスタジアムだけの話ではない。イングランドでは、どのスタジアムへ行っても、同じような形になっているのだ。
観客がピッチにはいるのを防ぐことは、サッカースタジアムの重要なテーマのひとつだ。日本でも、試合に熱狂して、あるいはふがいないプレーや審判の判定に怒ってピッチにとび降り、事故や事件につながったことが過去になんどもあった。
「先進国」ヨーロッパや南米では、いろいろな手段を講じて観客のピッチへの侵入を防いできた。
伝統的に最も広範に普及していたのが、高さ2メートルほどの柵だ。ときには、乗り越え防止のため、上部に鉄条網を使ったり、鋭く尖らせたりする。
これではまるで動物園の檻だと、イタリアでは、15年ほど前から透明のアクリル板を取り付けるスタジアムが出てきた。しかし視界が悪くなり、評判が悪かった。
もうひとつの伝統が、南米に多い堀だ。観客席とピッチの間に、幅2.5メートル、深さ3メートルほどの堀をめぐらせる。水は入れない。
94年のワールドカップ・アメリカ大会で、サッカーは「第3の道」に出合った。アメリカのスタジアムでは、スタンドを3メートルほどの高さにすることによって、観客の飛び降りを抑制してきたのだ。
日本がワールドカップ用スタジアムの建設計画をまとめ始めていたころ、「飛び降り防止策」として、FIFAは柵(またはアクリルボード)、堀、そして観客席を高くすることの3案を推奨していた。ことし出そろった10のスタジアムを見ると、「堀」を設置したケースが多いことがわかる。
先日のイタリア戦が行われた埼玉スタジアムも、ピッチの周囲をぐるりと堀が囲んでいる。極端にいえば、観客席の中央に大きな池があり、その中央にピッチが「島」として浮かんでいる形だ。
6万人以上を収容する大きなスタジアムであり、スタンドの大部分からは堀があることさえわからない。しかしピッチが観客席から「隔離」されているのは事実だ。
FIFA推奨の3つの方法は物理的に観客とピッチを切り離す。それに対してセントメリーズをはじめとするイングランドのスタジアムでは、「法律違反になる」という警告の文言だけでピッチ侵入を抑制しようとしている。その結果、イングランドのスタジアムには、選手と観客がより近づき、開放的で、心からサッカーを楽しむことができる雰囲気がある。
イングランドのスタジアムでは、緊急時には観客をピッチ内に導入することになっている。観客と選手たちとの間に垣根を築きたくないという伝統的な考え方とともに、緊急時の誘導計画に基づく「低い柵」でもある。
そしてまた、ピッチへの侵入を「違法」とする法的な裏付けと、試合のときに警察官が場内の警備に当たって「法律違反」を犯した者を逮捕することなど、日本とは大きく違う状況がある。簡単にどちらがいいといえるわけではない。
「堀をつくる場合にも、将来的に観客の観戦態度が改善された場合にはそれをカバーする可能性があることを考慮しておかなければならない」
FIFAは、スタジアムの新築あるいは改築に関するガイドブックに、3つの推奨方法を述べた後に、そのような忠告を付記している。
物理的あるいは法的な抑止力ではなく、観客の自制でピッチ侵入がゼロになるのが理想だが...。
(2001年11月14日)
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