サッカーの話をしよう
No.391 日本の「予選」はこれから
11月25日(日本時間26日早朝)、第1回ワールドカップの決勝戦が行われたウルグアイ、モンテビデオのセンテナリオ・スタジアムには、初夏の陽光があふれていた。
昨年の3月4日にトリニダードトバゴのポートオブスペインで行われたトリニダード対オランダ領アンチルの試合で口火が切られた2002年ワールドカップ予選が、この日ようやく最後の1試合を迎え、32番目の出場国が決まったのだ。
最後の最後に「韓国/日本大会」に名乗りを上げたのはウルグアイ。この日、ホームの大観衆の前でオセアニア代表のオーストラリアを3−0で下し、2試合合計3−1とした。過去優勝2回の記録をもつ「古豪」ウルグアイにとっては、90年以来、3大会12年ぶりの出場だった。
メルボルンでの第1戦はオーストラリアが1−0で先勝していた。この日、ウルグアイは前半13分に先制点を決め、後半24分には2−0として2試合合計で逆転に成功した。しかしそれはけっして「安全圏」ではなかった。
この予選には、2試合合計のスコアが同点の場合にはアウェーでの得点を2倍にして計算するという規則がある。この試合の2−0は、むしろ、「1.5−0」といってよかった。もしここでオーストラリアに得点を許せば、2試合合計では2−2ながら、それは「振り出しに戻る」わけではない。オーストラリアが「韓国/日本」へ行くことになるからだ。
その苦しい状況からウルグアイが解放されたのは、ロスタイム直前の後半44分、交代出場のモラレスが3−0とするゴールを決めたときだった。その瞬間、スタジアムは熱狂に包まれた。そして5分間という長いロスタイムが過ぎた。ようやく出場を決めたウルグアイの選手たち、そして敗れ去ったオーストラリアの選手たち。その多くが泣いていた。
この試合は、今大会予選の765試合目。モラレスの3点目は、2408番目のゴール。21カ月にわたって世界を沸かせてきた予選がようやく終了し、32の出場国がすべて出そろった。あとは今週土曜に釜山(プサン)で行われる組分け抽選会を待つばかりだ。
32カ国のなかには、この予選の厳しさにさらされなかった国が3つある。前回優勝のフランスと、開催地元の韓国、日本だ。
今月7日のイタリア戦で、日本代表のフィリップ・トルシエ監督は「チームの8割はできた」と胸を張った。しかし私は、これから先もいろいろと予想外のことが起こるに違いないと思っている。そして、現在トルシエの頭の中にある「ワールドカップ・チーム」にない顔ぶれが、最後の23人にはいっているのではないかと予想している。
イタリア戦では、MF中田英寿が後半戦の45分間しか起用されず、華々しいプレーを見せることもできなかった。それを見て、中田がもう終わったかのような報道も多い。しかし現在絶好調の選手が、来年6月4日、大会の初戦を迎えるときに同じように好調だとは、誰にも保証できない。不調のなか泣き言もいわずに黙々とプレーに取り組んでいる中田が、再び圧倒的な存在感を見せる可能性は十分ある。
世界の予選は終了した。しかし「予選勝ち抜き」というそれだけで偉大な業績を、日本代表は達成したわけではない。だから、「予選はまだ続いている。来年6月まで続く」と思うのだ。
周囲がすべて敵のようなモンテビデオで、反則を受けても顔色ひとつ変えずに自分のプレーに集中するオーストラリアの選手たちを見ながら、日本代表の「最終予選」はこれからだと思わずにいられなかった。
(2001年11月28日)
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