サッカーの話をしよう
No.394 スポーツの力 勇気与えた中山のプレー
語るに足らない私のスポーツ生活のなかで、唯一、誇りにできる「パフォーマンス」がある。高校時代のことだ。
ある秋の日、体育館でのマット運動などのはずだった体育の授業が、急に外になった。体育担当のK先生の父君が亡くなり、失意の先生は「指導する気力が出ない」と、「自習」のような形でソフトボールの試合にすることにしたのだ。
先生はグラウンド横の土手に座り、ぼんやりと私たちのプレーを見ていた。体操の名選手で、小柄ながらいつも気力にあふれ、毅然とした姿勢をしていた先生の背が、老人のように丸くなっていた。
試合は、緊張感のない、だらだらとしたものだった。
だが突然、カーン!と鋭い音が鳴った。痛烈な当たりがピッチャーの横を破った。ショートを守っていた私は、無意識のうちにスタートを切り、ゴールキーパーのセービングのように真横に跳んでいた。左手にはめたグローブのなかに、ボールがすっぽりとおさまるのがわかった。
「おおっ!」
大声を上げたのは先生だった。倒れたまま顔を上げると、先生が立ち上がり、大きく目を見開いて、表情がぱっと明るくなったのが見えた。
うれしかった。ファインプレーをしたことではない。私のプレーが、沈み込んだ先生の心を一瞬でも慰め、力を与えたことがわかったからだ。
スポーツには、おそらく、こうした力があるのだろう。敗戦後の日本人に力を与えたのは、プロ野球のはつらつとしたプレーだった。ただひたすら走っているだけのマラソンが人気を集めるのも、そこから強く伝わってくるものがあるからに違いない。
それは、マスメディアが好んで伝える「スター選手」たちの物語ではない。一瞬のうちに見せる超人的な力や技、誰にも真似のできないがんばり、困難にくじけず、それを乗り越えていく力。目を凝らして競技を見ている者ならば、何の解説も必要とせずに伝わってくるものだ。
幸いなことに、2001年のサッカーにも、いくつもそうしたシーンがあった。
日本代表にことしの初ゴールをもたらした小野伸二のFK。堅守を誇るイタリアのゴールをこじ開けた柳沢敦のシュート。同じイタリア戦で、決定的シュートをブロックした宮本恒靖のタックル。
Jリーグでは神戸のカズ(三浦知良)の横浜戦(11月)のゴールが忘れられない。あの切れ味を見ただけで、神戸まで行った甲斐があった。
しかしことしなんといっても私を勇気づけたのは、5、6月のコンフェデレーションズカップで見せた日本代表FW中山雅史のプレーだった。
カナダとの初戦、前半途中から交代出場した中山は、持ち前のエネルギッシュな動きで攻撃をリードした。先制点となった小野のFKは、中山へのファウルで得たものだった。そしてその数分後には、左タッチラインを切るかと思われたパスを最後まであきらめずに追い、西沢明訓の2点目を引き出した。
カメルーンとの第2戦、勝利の2点を決めたのは、「中山さんのようにプレーする」と語ってピッチに出ていった鈴木隆行だった。中山は後半途中から出場し、疲労の見え始めたチームを奮い立たせて勝利へと導いた。
中山は、プロとしてやるべきことをやっただけなのだろう。しかしその徹底ぶり、そして味方を鼓舞する力は、誰にもできるものではない。そのプレーは、味方を勇気づけただけではない。見ている私たちをも勇気づけ、力を与えて、来年への希望を抱かせてくれたのだ。
2002年、ワールドカップで、私たちは、日本代表チームだけでなく、世界の最高峰のサッカーから、大きな力を与えられるに違いない。
(2001年12月19日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。