サッカーの話をしよう
No.398 クリスマス休戦中のサッカー
サッカーというスポーツの「伝説」のひとつに、戦争中、イギリス軍とドイツ軍の兵士たちが戦場で試合をしたという話がある。
ヨーロッパを中心に4年間にわたって行われ、1000万人の死者と2000万人の負傷者を出した第一次世界大戦。伝説の試合は、1914年のクリスマス休戦中に行われたという。
イギリス軍とドイツ軍が激しく対立した北フランスからベルギーにかけての戦場。その朝、銃声がぴたりと止み、あたりは静寂に包まれた。
イギリス軍の塹壕(ざんごう)のどこからか、クリスマスを祝う歌声が小さく流れた。それに呼応するように、ドイツ軍の塹壕からは合唱が上がった。そのうち、ドイツ兵が何人か、無人の戦場に這い出してきた。彼らは冬の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そしてイギリス兵たちも、塹壕から立ち上がった。
このとき北フランスのラバンティ村郊外の戦場にいたイギリス兵のひとりで、昨年106歳で亡くなったバーティー・フェルステッドさんは、こう思い出を語っている。
「最初は、ただ見合っていた。何をしようということもなかった。しかしそのうちに誰かがサッカーをやろうと言い出した。もちろん、戦場にサッカーボールなんてなかった。そのへんのぼろきれを集めて丸め、つくりあげた。そしてけり始めると、すぐさま試合になった」
「試合といっても、子どもの遊びみたいなものだ。両チームとも50人ほどいただろう。ゴールは目印を置いて決めたけど、何点はいったのか、誰も数えなかったよ」
休戦時の交流は、前線のいろいろなところであったようだ。あるところでは、ひとしきり「歌合戦」が行われた後、互いに歩み寄り、タバコを分け合い、記念品の交換が行われた。しかし多かったのはサッカーの試合だったらしい。
「どこからか、本物のサッカーボールが出てきた」という証言もある。「ザ・タイムズ」紙は、ある戦場でイギリス軍が2−3で敗れたという「記録」を掲載している。
すべてが、フェルステッドさんの経験した試合のように、ただ楽しみのためだけの試合だった。砲弾がつくった穴だらけの戦場。しかし両軍の兵士たちは、嬉々としてボールを追い、開放感に浸った。
そのなかで、互いに敬意が生まれた。ドイツ兵たちは、イギリス兵のドリブルの迫力に舌を巻いた。そしてドイツ兵たちが「とてもいい連中」で、「尊敬すべき」「紳士たち」だったと、イギリス兵たちも口々に語っている。
両軍の兵士たちには、共通の思いがあった。政治家たちが始めた戦争に駆り出され、毎日、生命を危険にさらされ続けることに、兵士たちはうんざりしていたのだ。
ヨーロッパのサッカーは、第一次大戦後に大きく観客数を伸ばした。それは、戦争体験により、平和の尊さ、何も心配なくサッカーを楽しめることのありがたさを、人びとが再認識した結果に違いない。
フェルステッドさんは、こう話している。
「私がそのゲームに参加したのは、ただサッカーが好きだったからだよ」
しかし試合は長くは続かなかった。敵軍と遊んでいる兵士たちを見て激怒したイギリス軍のひとりの少将が、「停戦」を命じたからだ。イギリス兵たちはただちに自分の塹壕に戻った。当然、ドイツ兵たちも同じようにしなければならなかった。
上官の命令には勝てない。しかし「ドイツ野郎をやっつけろ」などとはっぱをかけられても、イギリスの兵士たちは、いっしょに遊んだドイツ兵たちの生き生きとした笑顔を思い浮かべ、しばらくは本気で銃を撃つことができなかったという。
(2002年1月23日)
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