サッカーの話をしよう
No.407 強化推進本部の成功
「そういえば、そんな組織があったな」
名前を挙げたら、こんな反応が返ってくるような気がする。財団法人日本サッカー協会の「2002年強化推進本部」である。
ちょうど2年前、2000年のいまごろは、この名前が新聞に載らない日がなかった。この年の6月で切れるフィリップ・トルシエ日本代表監督との契約を更新するか、憶測が飛び交っていたころだ。
「強化推進本部」は、前年、99年の7月に日本代表チームのサポートのために設立され、釜本邦茂・日本協会副会長が本部長となった。しかしこの推進本部はサポートというより「お目付け役」のような立場になってしまい、トルシエとの関係が悪化した。両者のあいだには、日々、不信感がつのるばかりだった。
トルシエは、日本協会との約束どおり、シドニー・オリンピックとアジアカップ決勝大会への予選を突破した。そして2000年の春には、それまで別々に強化を進めていたオリンピック代表とA代表を統合し、2002年に向けての具体的なチームづくりに着手したばかりだった。しかし4月末に韓国との親善試合で敗れたことで、「契約不継続論」、あるいは「解任論」に火をつけた。それは国民的な関心事にまで発展した。
大騒動に決着をもたらしたのは、岡野俊一郎・日本サッカー協会会長の決断だった。6月にモロッコで行われたフランス戦の結果などを見てトルシエに対する信頼を固め、一部の強化推進本部員の反対を押し切る形で、日本代表を2002年までトルシエに任せるという結論を出した。
7月、日本協会は強化推進本部を改組し、岡野会長が自ら本部長に就任して再スタートを切った(木之本興三・Jリーグ専務理事、大仁邦彌・日本協会技術委員長は副本部長として留任)。
強化推進本部の重要な役割は、監督の強化方針に従って年間の強化スケジュールを立案し、Jリーグとの日程調整をすることだ。昨年とことしの日本代表の活動日程とその内容を見れば、推進本部がいかに「サポート役」を果たしてきたかわかる。
2001年には、ヨーロッパの「国際試合デー」に合わせた画期的な強化が行われ、Jリーグを長期間中断することなく、ヨーロッパでの国際試合を4試合もこなすことができた。3月のフランス戦(アウェー)をはじめとするこれらの試合が、日本代表の強化にどれほど重要な役割を果たしたか、語るまでもない。
そしてワールドカップ年のことし前半は、Jリーグと、準備のための国際試合の、絶妙なバランスを実現した。
難しい課題もあった。3月下旬のヨーロッパ遠征は当初予定されておらず、Jリーグの日程がはいっていた。しかし日程決定後、どうしてもここにアウェー試合を入れたいというトルシエからの要望が出た。推進本部はJリーグと調整し、同時にポーランドという恰好の相手とのマッチメークに成功した。
ワールドカップへの準備が順調に進んでいるいま、誰も「強化推進本部」の名前を口にする者はいない。それは、推進本部にとって大きな「勝利」ということができる。
ワールドカップでどこまでいけるか、結果がどうなるかはわからない。しかし強化推進本部が、2000年7月以来、日本代表チームの見事な「サポート役」を果たしてきたことは高く評価されるべきだと思う。
この組織は、2002年ワールドカップのためだけのものだった。その経験を生かし、代表サポートのための恒常的な組織と、その考え方を構築し、固める必要がある。その新組織設立の提案が、「2002年強化推進本部」の最後の仕事となる。
(2002年4月10日)
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