サッカーの話をしよう
No.408 沢辺カメラマンの写真集に思う
イタリアのミラノに住むドイツ国籍の日本人。そんな友人がいる。職業は写真家である。かつてはサッカーのビッグゲームを追って世界中を飛び回っていた。いまは「サッカーと生きる人びと」を求めて、世界の各地をゆったりと歩いている。
カイ・サワベ氏には、沢辺克史(かつひと)という、親からもらった立派な名前がある。しかし数年前にドイツ国籍を取得したときに、お気に入りの「Kai」にした。
ヨーロッパ・サッカーの写真を撮りたいと、大学卒業後、ドイツに渡ったのが20年ほど前のこと。スポーツ写真のエージェントに所属して経験を積み、1年後に独立してフリーランスとなった。
日本にいたころは苦しそうだった。何事もきまじめに考える性格は、なかなか周囲となじまなかった。人間関係を器用にこなすことができず、小さな行き違いに居心地の悪さを感じているようだった。
個人主義が貫かれたドイツに住み始めて、気が軽くなった。競争の激しいドイツのスポーツカメラマンのなかでめきめきと頭角を現し、やがてドイツ人カメラマンたちからねたまれるほどの実力を身につけた。数回のワールドカップ取材は、すべてドイツからの登録だった。
しかし次第に、ビッグゲームを追うスポーツカメラマンの世界に嫌気がさしていった。少しでもいい撮影ポジションを取ろうとする争いはエスカレートする一方だった。そして大多数の同業者は、写真という手段でサッカーの魅力や世界を表現しようというのではなく、雑誌や新聞に売るためのスターのショットを撮ることに血眼になっていた。
サッカーを撮ることをやめた。正確にいうと、ひじを張って撮影ポジションを奪い合うような試合の取材はやめた。以後は、自分でテーマを考え、いろいろな写真を撮った。日本の競輪をテーマに写真集をつくったこともあった。98年ワールドカップでは、スタジアム外に「超簡易仮設スタジオ」をつくり、世界中からやってきたサポーターを撮影し、インタビューした。
そんなサワベ氏が、99年から日本の月刊誌「ワールドサッカーマガジン」(ベースボール・マガジン社)に連載をはじめた。「フットボール・デイズ」と名づけられた連載は、世界のスター選手の写真やインタビューでいっぱいの雑誌のなかで、ひときわ光彩を放つものだった。
世界の各地を訪ね、サッカーと人びととのつながりを考える。マラドーナの時代の栄光を忘れきれないナポリ(イタリア)の市民、北大西洋の島国フェロー諸島の人びとのサッカーへの情熱...。サワベ氏らしい考え抜かれたテーマが、画面の隅ずみまで神経の行き届いた写真と、選び抜かれた言葉で構成された文章で表現されていた。
その連載が本になった。連載と同じタイトルで、つい先日、双葉社から発行された。写真と文章が半々の、ていねいな仕上げの本だ。
ページをめくっていくと、世界中でサッカーがいかに愛され、サッカーが人びとの生活といかに密接に結びついているか、理屈抜きに伝わってくる。あらためて、良質な写真のもつ力を見る思いがする。
そしてまた、サワベ氏が、被写体となった人びととしっかりと向き合い、心を通わせたことがわかる。
若いころの、彼の人間関係の不器用さを思った。不器用だったからこそ、自分を飾ったりごまかしたりすることなく、まっすぐに他人と向き合ってきたのではないかとも、考えた。
人間とサッカーと写真に、まっすぐ向き合ってきた20年間。写真を見つめていると、写真のなかの人びとからも見つめられているような気がした。
(2002年4月17日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。