サッカーの話をしよう
No.443 おおキャプテン、マイ・キャプテン
最初にその呼称を聞いたとき、思い起こしたのは、10年以上も前に見た1本のアメリカ映画だった。
1989年ピーター・ウィアー監督、ロビン・ウィリアムズ主演の『いまを生きる』。アメリカ東部の名門進学校に赴任してきた英語教師が、詩を教えることを通じて、既成の価値観を捨て、自分の心の声を聞いて自分自身の「いま」を大事に生きるように、生徒たちに働きかける。無反応だった生徒たちが、次第に生き生きと自分自身の夢や情熱を語り、行動するようになる。
最初の授業で、教師は19世紀のアメリカ詩人ウォルト・ホイットマンがリンカーン大統領に捧げた詩を紹介する。その冒頭が「おお、船長(キャプテン)、私の船長(キャプテン)」だった。アメリカを船に、そしてそのリーダーである大統領を船長(キャプテン)にたとえたものだ。
不幸な事件が起こり、責任を問われた教師は、何も言い訳をせずに学校を去る。そのときに、クラスで最も引っ込み思案だった生徒が、机の上に立ち、「おおキャプテン、マイ・キャプテン」と、教師に呼びかける。それは教師が第1日目の授業から伝えようとしてきた、生徒自身の心から出た言葉だった。
自らの呼び名を「キャプテン」と定めた日本サッカー協会の川淵三郎会長が、12月30日、高校選手権の開会式直後に岡山県代表の水島工業高校の選手たちのところに行き、「協会の不手際でいろいろと迷惑をかけて申し訳ない」と声をかけた。「ゴタゴタを忘れて、大会に集中して水島工の力を証明してほしい」と、選手たちを激励したという(『日刊スポーツ』紙より)。
岡山県予選の決勝戦で、相手の作陽高校のVゴールが誤審によって認められず、PK戦の末、水島工が出場権を獲得した。誤審でも結果を覆すことはできない。しかしその後の対応がまずく、作陽だけでなく水島工の選手たちをも傷つける結果となった。
彼らをなんとか勇気づけたいというのが、川淵会長の素直な気持ちだっただろう。しかしその思いをストレートに行動と言葉で表現することは、簡単にできるものではない。
映画『いまを生きる』の最後の場面で生徒が教師に「おお、キャプテン」と呼びかけたのは、その生徒が教師を真のリーダー、人生の師と認めたからだった。
現代の日本では、本当にリーダーと呼べる人物が少ない。リーダーになろうという人自体が少ないのだ。誰かに頼らずに決断し、その責任を一身に負わなければならないリーダーより、二番手、三番手につけているほうが、はるかに楽だからだ。「自分がリーダーになろう」という強い意欲をもち、そうした重荷を一手に引き受けようという人の存在は、それだけで貴重だ。
登録選手数を、わずか3年間のうちに現在の3倍近くにあたる200万人に伸ばすなどの大きな目標を掲げて、昨年7月に日本サッカー協会の長となった川淵会長は、まさにそうした人だ。そして、水島工の選手たちに対する働きかけは、たしかに、この人がリーダーとして欠くことのできない強さと優しさの持ち主であることを証明している。
日本代表の再スタート、ユース年代のサッカーのリーグ戦化、シニアや女子を中心としたさらなる普及活動の展開など、2003年の日本サッカーには、大きな課題が待ち構えている。強烈なリーダーシップが、これほど求められている時代はない。
「キャプテン」という呼称は、残念ながら十分に浸透しているとはいえない。しかしこの難しい2003年を大きな成果で終えたとき、日本中のサッカー選手やコーチ、ファンなどが、「おお、キャプテン、マイ・キャプテン」と、呼んでいるだろう。
(2003年1月8日)
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