サッカーの話をしよう
No.449 あるボイコット事件
イングランドで、あるサポーター団体の試合ボイコット事件が話題になっている。
「マンチェスター・ユナイテッド障害者サポーター協会(略称MUDSA)」。不覚にもこんな組織があるとは知らなかった。その彼らが、3月2日の「ワージントン・カップ」決勝リバプール戦をボイコットして、マンチェスター市内のホテルでテレビ観戦をすると宣言しているのだ。
日本でいえば「ナビスコ・カップ」にあたる「ワージントン・カップ」。その決勝戦は伝統的にロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されてきた。しかし建て替えで3年前に閉鎖されたため、ウェールズのカーディフ市にある「ミレニアム・スタジアム」が使われている。
ウェールズ自慢の、開閉式総屋根をもった最新のスタジアムである。設計にも最新の理念が採り入れられていたはずだった。ところが、車椅子用の席が、サッカー観戦には適していなかった。
実は、同じスタジアムで行われた2年前のチャリティー・シールド(イングランドのスーパーカップ)でも、MUDSAは試合をボイコットしている。車椅子用の客席が、3層あるスタンド各層の最後列にとってあったからだ。
「前の観客が立ち上がったら、まったく試合を見ることはできない」と、会場を視察したMUSDAは改善を要求した。しかし無視されたため、仕方なくボイコットした。
今回も、開催が決まると、MUDSAはすばやく行動を起こし、プレミアリーグとミレニアム・スタジアムの両者に施設の改善を求めた。フィル・ダウンズMUDSA理事長は、「1階席の前に仮設のプラットフォームをつくり、車椅子を入れてほしい」と、具体的な改善策も提案した。
しかし回答はつれなかった。
「そんなものをつくったら、一般観客の視線をさえぎることになる」
「車椅子席の近くに案内係を配置し、立ち上がらないようにと一般観客に注意する」。リーグとスタジアムはそう繰り返すだけだった。
「サッカー観戦で立つなというほうが無理だ。チャンスやピンチになったら、みんな立ち上がる。結局のところ、カーディフまで行っても、大事な場面はほとんど見られない。一般観客の視線はさえぎってはならないが、車椅子観戦客の観戦を妨げてもいいというのは、明らかな差別だ」
ダウンズ理事長は、ボイコットなどしたくないが、他人の背中ばかり見にカーディフまで行くのはごめんと、会員の意見をまとめた。
MUDSAは、1989年に誕生した世界で始めての障害者サポーター組織である。障害者も快適にサッカーを楽しめるよう、クラブと協力して環境整備に努力してきた。ユナイテッドのサポーターだけでなく、来訪する他クラブの障害者サポーターにも情報を提供している。そしていまでは、イングランドの多くのクラブに同様の組織ができ、情報交換も盛んだという。
日本でも、最近のスタジアムは、障害者用の観戦施設が整備されてきている。しかし障害者側がこんなに積極的に自分たちの立場を主張している例は聞かない。
インターネットの「mudsa.com」を見ると、彼らのポリシーが実に堂々とうたわれている。ミレニアム・スタジアムで観客がいっせいに立ち上がると、車椅子席からいったい何が見えるか、楽しい写真も掲載されている。
体に障害があっても、他の人びととまったく同じようにサッカーを楽しむ権利がある。しかしそんな当たり前のことが本当に当たり前になるには、周囲の理解とともに、障害者たちも団結し、元気に主張を続けなければならない----。ホームページを見ながら、そんなことを考えた。
(2003年2月19日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。