サッカーの話をしよう
No.451 気持ちが悪いアメリカ遠征
どうも居心地が悪い。こんな思いをしているのは、私だけだろうか。
日本代表チームのアメリカ遠征のことである。対イラク武力行使の開始が近いと報道され、それにともなってアメリカ国内でのテロの危険性も高まったため、日本サッカー協会は3月26日と29日に予定されていたアメリカでの国際試合の中止を決めた。
しかしその決定からわずか5日後の2月22日、アメリカ協会の強硬な要請を入れ、日本協会は遠征を当初の予定どおり行うことを発表した。渡米して交渉に当たっていた平田竹男GS(専務理事)から川淵三郎キャプテン(会長)への電話には、「アメリカの国としての威信」「FBIやCIAの安全保証」などの言葉があったという。
日本とアメリカのサッカー協会だけの交渉なら、すなわち純粋にスポーツの話なら、こんなことにはならなかっただろう。アメリカ協会も、「仕方がない」と、理解を示しただろう。それがねじ曲がってしまったのは、アメリカ協会に何らかの外部圧力が加わったからに違いない。
とっさに思い浮かべたのが、第二次世界大戦直前、イングランド代表のドイツ遠征での「ナチ式敬礼事件」だった。
当時国際サッカー連盟から脱退していたイングランドは、ワールドカップに出場することはできず、国際試合は親善試合に限られていた。しかし自他ともに「世界最強」と認めるイングランドとの対戦を望むチームは多く、困ることはなかった。そうしたなかで、ドイツとの2試合が取り決められた。最初の試合は1938年5月14日にベルリンで、そしてそのリターンマッチが、翌年にロンドンで行われることになったのだ。
試合の2カ月前の3月11日にヒトラー総統率いるナチス・ドイツはオーストリアを併合し、さらなる膨張の機会をうかがっていた。ヨーロッパが一触即発の危機にある、誰もが認識していた。しかし試合の契約はすでにかわされ、キャンセルすることは不可能だった。
5月11日にロンドンを出発したイングランド代表は、オランダまで船で渡り、そこから汽車に12時間揺られて12日の夕刻にベルリンに到着した。「世界最強」の実力を誇る選手たちは、余裕たっぷりだった。
しかし試合当日の朝、キャプテンのエディー・ハプグッドは協会の首脳の部屋に呼び出され、思いがけないことを伝えられた。
「国歌吹奏のときには、右手を挙げたナチ式敬礼をするように」
「とんでもない」。ハプグッドは即座に拒否した。「私たちは国歌には直立して敬意を表する。それが私たちのやり方であることを、ドイツ人たちだって理解するはずだ」
しかし協会首脳の言葉の背景には、英国外務省と駐独大使ネビル・ヘンダーソン卿の強い要望があった。協会首脳も抵抗した。しかしここでイングランド代表がドイツ人観衆の怒りを買うと、それがヒトラーに戦争開始の口実を与えてしまう恐れがある----。そう説得されたのだ。
午後5時、11万の観客で埋められたベルリンのオリンピック・スタジアムに両チームが入場。国歌吹奏が始まると、白いユニホームのイングランド選手たちも、ドイツ選手たちと同じように右手を挙げた。その先には、満足げな表情のヒトラーがいた。
試合は、イングランドが実力を示し、6−3で快勝した。しかしこの試合は、後に「最も恥ずべき敬礼の試合」と語られるようになる。
アメリカはけっしてナチスではないしブッシュ大統領もヒトラーではない。ただ、スポーツの立場からの考えが外部からの圧力で覆されるのは、とても気持ちが悪いのだ。
(2003年3月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。