サッカーの話をしよう
No.452 大分の小林監督を支持する
きのうの本紙「イブニングスポーツ」で藤島大さんも取り上げたが、Jリーグ・ナビスコ杯、京都対大分での出来事が話題になっている。
負傷者の手当てのために相手に出してもらったボールのスローインから、大分のロドリゴが得点してしまった。 当然、京都の選手たちは激怒する。しかし手当てのために出したボールを相手に返すのは慣習にすぎない。ルール違反ではないから、レフェリーは得点を認めるしかない。
これに対して、大分の小林伸二監督は「プレーをやめろ」と指示、棒立ちの大分選手たちの間をぬって、京都がゆっくりとシュートを決めた。
勝利を目指して全力でプレーするのがフェプレーの基本であるはずなのに、相手にゴールをプレゼントするなど言語道断という非難がある。そしてこの日が「デビュー戦」だった新サッカーくじ「トトゴール」への影響を問題視する見方もある。
最初に断っておきたいのは、「トトゴール」と関連づけるのは当たらないということだ。まずJリーグの試合があり、トトはその結果を使っているにすぎないからだ。
もし問題があるとすれば、それはトトの側にある。あるいは、日本のサッカー環境が、「トトゴール」のようなくじに適するほど成熟していないということだろう。
今回の出来事で重要なのは、「これが原則ではない」という点だ。
4年前に、イングランドで大分とまったく同じような得点があった。それが決勝点となって2−1の勝利をつかんだアーセナルのベンゲル監督は、試合終了後、「再試合」を提案した。「あのゴールはスポーツ的な観点で正しくなかった」と、彼は理由を語った。
小林監督は、試合終了を待たず、ただちに過ちを取り戻す方向に動いた。相手に1点を与えて、再び同点にすることだった。
ともに1−1の場面の出来事だった。仮に4−0の一方的な状況だったら、再試合の提案も「プレゼント・ゴール」もなく、得点にからんだ選手を交代させ、試合後に相手チームに謝罪する程度で終わっていただろう。
アーセナルの場合、残り時間は15分足らずだった。しかし京都−大分戦はまだ30分近くあった。不名誉な得点を即座に修正することで、残りの時間を互いに力いっぱい戦うことができるという判断が、小林監督にはあっただろう。
会場は京都の西京極競技場。もし大分があのまま試合を続行させていたらどうなっただろう。無事試合を終えることができても、非難が集中し、J1に昇格したばかりの大分は大きな痛手を被っただろう。いや何よりも、地元大分で応援してくれているたくさんの人びとを傷つける結果にもつながったに違いない。
「プレゼント・ゴール」などあっていいはずがない。しかしその「原則」を破ってでも守りたいものが、小林監督にはあったはずだ。それは、自分自身がサッカーに取り組む姿勢であり、同時に、この状況下では自分以外に守る者のいない、クラブとホームタウンと、そしてサッカー自体の名誉だった。
今回の出来事は、今後同じようなことが起こったときに「プレゼント・ゴール」をするのが適切という話ではない。大事なのは、明確な「サッカー哲学」をもつこと、そしてそれに従った判断と行動をできるようにすることだ。
この事件が起こった時点で、大分は退場で1人少ない状況だった。「勝ち越しゴール」は、その苦しい状況で「虎の子」だったはずだ。しかし小林監督は即座に自らの哲学に基づいた行動を起こした。
このような指導者が日本にいることを、私は誇りに思う。私は、小林監督の判断と行動を支持する。
(2003年3月12日)
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