サッカーの話をしよう
No.458 小笠原とラモス 試合を変える個人の力
サッカーはチームゲームである。個々の選手の最高のプレーをつなげるだけでは良い試合はできない。11人の選手が一体となり、チームとして機能しない限り、良い結果にはつながらない。
しかしごくまれに、1人のプレーが試合の流れを一変させてチームを勝利に導くのを見ることがある。先週の水曜日にソウルで行われた韓国戦、日本代表のMF小笠原満男のプレーがそうだった。
立ち上がり、韓国のプレッシャーを恐れた日本は、DFラインから大きくけるだけだった。しかし9分、右サイドでボールを受けた小笠原は、いったんはスピードを上げて前に行こうとしたが、急激にターンし、DF秋田にゆったりとしたパスを返した。これを受けた秋田は前へはけらず、DF間で正確につないで組み立てを始めた。
小笠原のプレーは、前へ前へと急いでいた日本に、「このへんからしっかりつないで攻めよう」というメッセージとなった。試合はここから流れが変わり、日本の中盤が韓国と互角以上に渡り合うようになった。
このほかの場面でも、小笠原は攻撃だけでなく、随所でチーム全体をリードし、試合の流れを日本に引き寄せるプレーを見せた。見事な「ゲームメーカー」ぶりだった。
ソウル・ワールドカップ・スタジアムで小笠原を見ながら思い起こしたのは、ラモス瑠偉が引退する前年のある試合で見せたプレーだった。
97年9月24日。それは、98年ワールドカップを目指すアジア最終予選の真っ最中のJリーグ、東京・国立競技場で行われた横浜フリューゲルス対ヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)だった。
日本代表に出ているカズ(三浦知良)を欠くヴェルディ。フリューゲルスのブラジル人監督オタシリオは、「ラモスさえマークすれば勝てる」と判断し、右サイドバックの森山佳郎を本来の位置から外してヴェルディのMFラモスを徹底マークさせた。フリューゲルスが攻撃しているときにも森山はラモスの側を離れなかった。
ラモスのパスワークを消されて、ヴェルディは攻撃の形ができない。フリューゲルスが圧倒的に攻め、次々とビッグチャンスをつくる。
あまりに執拗なマークに嫌気がさしたのか、やがてラモスはDFラインまで下がってボールを受け、そのままラインにとどまった。そして自陣から出ることもまれになった。これを見たオタシリオ監督は、前半30分過ぎにベンチを出てラモスのマーク役を森山からFW服部浩紀に変えるように指示する。
しかしラモスはそのときを待っていた。こんどは、前へ前へと動き、ヴェルディのFWのすぐ近くでプレーし始めたのだ。マークを命じられた服部は自チームのDFライン近くまで下がらざるをえず、フリューゲルスの攻撃はバランスを崩してヴェルディが一気に攻勢となった。その攻勢のなかから、前半40分、この夜唯一の得点が生まれた。
後半、フリューゲルスはラモスのマーク役を森山に戻し、再び攻勢に出た。しかし前半の1失点を取り戻すことはできなかった。40歳のラモスが、「冷徹な戦術家」といわれたオタシリオ監督に「頭脳合戦」で勝ち、チームを勝利に導いた試合だった。
個人の力で試合の流れを変えるのは、誰にもできる業ではない。サッカーという競技を知り尽くし、現在進行中のゲームについての深い洞察力をもち、そして苦境を打開するアイデアと実行する技術・体力を持ち合わせていなければならない。
ソウルで久しぶりにいいものを見た。日本代表のジーコ監督にとっても、収穫のある試合だったに違いない。
(2003年4月23日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。