サッカーの話をしよう
No.464 アルゼンチンとパラグアイに拍手を
何かにたたられているのではないか...。そう思っても不思議はない。イラク戦争でアメリカ遠征が中止になり、新型肺炎(SARS)で東アジア選手権も延期となった。さらに、SARSに対する懸念で、キリンカップに出場する約束になっていたポルトガル、次いでナイジェリアが来日を取りやめてしまった。
先週土曜日には、東アジア選手権延期で空いた日程の代替試合として組まれた韓国との親善試合が、季節外れの台風4号に脅かされるというおまけまでついた。幸いなことに試合が始まるころにはほとんど雨も上がったが、台風の進路や上陸時間が少しずれていたらどうなっただろう。とにかく試合が無事行われただけで、無上にうれしかった。
今週末にはキリンカップが開幕する。8日に大阪で日本対アルゼンチン、11日にさいたま市で日本対パラグアイ、計2試合が行われる。SARS騒ぎでアジアへの渡航が危険視されるなか、南米の2チームが約束を守ってくれたのは、本当にありがたい。
南米サッカー連盟(CONMEBOL)そして加盟各国協会と、日本サッカー協会は、長い間、非常に良好な関係にある。1981年に始まったトヨタカップを契機にCONMEBOLの首脳が毎年来日するようになったのが、濃厚な交流の始まりだった。やがて2002年ワールドカップの招致活動などで日本協会の役員も頻繁に南米を訪れるようになり、絆は強まった。
もちろん、南米が日本を受け入れたきっかけは日本の経済力だった。しかしそれが本物の「友情」に変わるまでにそう時間はかからなかった。
日本サッカー協会で専務理事を務め、後に副会長となって対外的な折衝を一手に引き受けていた村田忠男さん(現在特別顧問)の裏表のない人柄が、南米の役員たちの信頼を勝ち得た。アルゼンチンのブエノスアイレスで事業を営むかたわら、日本協会の国際委員として広範な人脈を築いた北山朝徳さんのような存在も見逃すことはできない。
2002年大会の招致活動では、CONMEBOLが最初から最後まで日本を応援し、盛り立ててくれた。南米は、何よりも人と人の友情を大切にする地域だ。その友情のあかしとして、99年には、南米大陸の王者を決める「コパ・アメリカ」に、アメリカ大陸以外から初めて日本を招待してくれた。
SARS騒ぎが起こってポルトガルやナイジェリアが出場を取りやめたときにも、アルゼンチンは微動もしなかった。そして現状で考えうる最高のチームを日本に派遣することを決めた。
パラグアイとは8月に東京で試合をする約束があった。しかし日本がキリンカップ第2戦の対戦相手探しに苦労しているのを知ると、快く予定を変更し、出場してくれることになった。こちらも、9月にスタートする2006年ワールドカップの南米予選に向けてベストチームだ。
8日の長居スタジアムも11日の埼玉スタジアムも、日本代表を応援するサポーターで埋まるだろう。試合が始まったら、この南米の強豪と対戦する日本代表を力づける声援を送ってほしい。
しかし今回は、試合前、そして試合が終わった後には、これまでにないことをしよう。アルゼンチンとパラグアイに、盛大な拍手を送るのだ。
ただの「大きな拍手」では足りない。日本のサッカーが苦境に陥っているときに「友人」としてこれ以上ない態度を示してくれたことに対する感謝の気持ちを目いっぱい込め、心のなかで「ありがとう!」と叫びながら、拍手をしよう。
そして、南米が、日本サッカーのかけがえのない「友人」であることを忘れないようにしよう。
(2003年6月4日)
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