サッカーの話をしよう
No.465 副審・廣嶋禎数
きょうは副審・廣嶋禎数(よしかず)さんの話を書く。副審(アシスタントレフェリー)とは、手に旗を持ち、タッチライン沿いに移動しながらオフサイドの判定などで主審に協力する審判員だ。廣嶋さんは、18日からフランスで行われるFIFAコンフェデレーションズカップに出場する。私は、世界でトップクラスの副審だと思っている。
62年5月22日大阪生まれ、41歳。大阪体育大学時代、20歳で初めて審判資格をとった廣嶋さんが国内審判員の最高クラスである1級に昇格したのは、90年、28歳のとき。93年には、国際サッカー連盟(FIFA)の「国際線審」にリストアップされた。
国際線審になってから、広島アジア大会、トヨタカップなどの大きな舞台で旗を振るチャンスも与えられ、廣嶋さんはぐんぐん力をつけていった。Jリーグでは、95年に審判員特別奨励賞、96、97年と連続して優秀副審賞を受賞した(2000年にも受賞)。
96年に名称が線審(ラインズマン)から副審(アシスタントレフェリー)に変わった。責任が大きくなり、やりがいのある仕事と感じるようにもなった。廣嶋さんは先輩たちから教わったことに自らの特徴を重ね、工夫して世界でも珍しいスタイルをつくった。
普通の副審はラインに正対し、サイドステップで移動する。しかし廣嶋さんは、ボールのある方向に体を向け、バックステップを多用する。
オフサイドの判定は、非常に難しい作業だ。味方からパスが出された瞬間にオフサイドポジションにいたかどうかが問題になる。オフサイドラインとボールの両方を見なければならない。廣嶋さんは、先輩から「ボールとラインを1、1、2のリズムで見て、近づいてきたらそのテンポを上げる」という方法を教わった。そこからヒントを得ての「廣嶋式」の誕生だった。
「こうすると、視野が広がり、視野の端でラインを見ながら、同時に、プレーの瞬間をしっかりと見ることができます」(廣嶋さん)
誰にでもできる方法ではない。バックステップの速さという特技を生かしたものだ。
日本の副審は世界的にもレベルが高い。廣嶋さんに「1、1、2」を教えた山口森久さん、Jリーグで副審136試合の最多記録をもつ柳沢和也さんなど、副審ひと筋を貫く人も少なくない。しかしアジアには「ワールドカップの審判員は1国からひとり」という不文律があり、まだ日本から「副審」としてワールドカップに出場した人はいない。
職業は高校の体育教師。サッカー部の監督でもある。
「試合で留守にするだけでなく、自分自身の毎日のトレーニングもあって十分見る時間がなく、生徒たちには申し訳なく思っています」
幸いなことに、学校や仲間の理解と協力で、学期中ながら「フランス行き」が可能になった。
「国内の試合でやっていることをやれればいい。普段の自分を素直に出したい」と廣嶋さん。「副審哲学」は、「迷わないこと、ミスを恐れないこと」だと語る。
試合後には、必ずビデオで繰り返し見て確認する。若いころからの経験で、迷ったときには、多くはミスだった。
オフサイドの判定は、見て判断するのでは遅い。感覚でわかるようにならなければならないと、廣嶋さんは考えている。そのために、よく外国の試合のビデオを見る。
まずノーマルなスピードでプレーを見て、「体半分出ている」などの判断をし、次に巻き戻してコマ送りで確認する。そして自分の最初の印象と比較する。こんな「訓練」を始めてから、安定した判定ができるようになったという。
フランスでは、日本の副審の優秀さを世界に示してくれるに違いない。
(2003年6月11日)
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