サッカーの話をしよう
No.471 2ステージ制はもったいない
先週末に磐田で行われたJリーグ第13節、「ジュビロ磐田×ジェフ市原」は、まちがいなく、今季最高の試合だった。優勝争いの「天王山」というだけではない。内容がすばらしかったのだ。
勝ち点2差で首位市原を追う磐田の闘志がすばらしかった。キックオフからわずか30秒で最初のコーナーキックを奪ったところに、勝利への強い意志がよく表れていた。
その闘志が、過度な体のぶつかり合いではなく、高度なチームプレーとして結実するところが、磐田のすごいところだ。MF名波浩にボールを集め、散らし、すばやくボールを回して市原につけ入る余地を与えなかったサッカーは、昨年、シーズン完全優勝を飾った当時よりレベルアップしているようにさえ思えた。
しかし今季、イビチャ・オシム監督に率いられて大きく成長した市原も負けてはいない。後半になると、佐藤勇人、阿部勇樹のボランチコンビがアグレッシブな動きを開始し、坂本将貴、村井慎二の両アウトサイドのスピード突破が磐田を防戦に追い込む。
1点をリードされた市原が追いつき、逆転し、その直後に磐田が同点にするスリリングな展開。どちらも勝てなかった。引き上げていく選手たちの表情には、誰にも笑顔はなかった。しかし、「力いっぱい、自分たちのサッカーをした」という思いを、誰もが抱いていたに違いない。
「いい試合だった」と、多くの人が語った。
しかし私は、選手たちの息づかいさえ聞こえてきそうな磐田のスタジアムでこの試合を楽しみながら、頭の片隅で、「2ステージ制は本当にもったいない」と、まったく別のことを考えていた。
1シーズンを2ステージに分けているJリーグは、わずか15試合で優勝が決まってしまう。そして第1ステージを制したチームが続けて第2ステージも制した例は、昨年の磐田以外にない。意図的に第2ステージを「調整」に回すわけではない。高いレベルのプレーを持続させることができないのだ。そうしたチームが、年末に行われる「チャンピオンシップ」に照準を合わせて入念に調整し、シーズンの優勝を勝ち取るというのが、現在のJリーグだ。
「もったいない」と思うのは、高いレベルのプレーを、シーズンを通じて持続させる努力こそが、選手を成長させる最も大きな力になるからだ。
もし全30節の「1ステージ制」であれば、「前半の天王山」の結果にかかわらず、どのチームも努力を継続していかざるをえない。市原も、磐田も、そして、その間にはいり込むように首位の座を狙っている横浜F・マリノスにも、さらにはそれに続く名古屋グランパスや鹿島アントラーズなども、緊張を切らさずに戦い続けなければならない。
ところが「2ステージ制」の下では、残り2試合、15節が終わると、すべて「リセット」されてしまう。どこか1チームが優勝したという事実以外はすべて「ゼロ」に戻されてしまう。そこに見られるのは、「誰もが優勝争いに加われるように」という、まるで小学校の運動会の徒競走のようなゆがんだ公平論だ。
シーズンを通じて努力を続け、高いレベルのプレーを保つことができた者だけが最後に笑うことができる。途中でいちどあきらめた者が再びチャンスを与えられる制度など、プロのサッカーに最もふさわしくない。「甘やかし」といってよい。
市原と磐田のどちらかが優勝すれば、両者の対戦で見せた見事な戦いと同じレベルのプレーを、今季後半の15試合では歯を食いしばってやり通す必要がないのが、2ステージ制だ。10年以上もこの制度を続けたことで、日本のサッカーはどれだけダメージを受けてきただろうか。
(2003年7月23日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。