サッカーの話をしよう
No.475 緑の芝に、真っ白なラインを
先週土曜日、横浜で試合を見ていて、非常に気になることがあった。ラインが、ほとんど見えないのだ。
横浜国際総合競技場の記者席は、ピッチに向かってやや右の1階席にある。右側のペナルティーエリアはかすかに見えるが、左側のエリアもハーフラインもまったく見えなかった。
サッカーのラインは、それぞれに重要な意味をもっている。ハーフラインは、それを超えているかどうかでオフサイドかどうかが決まるし、反則がペナルティーエリア内だったかどうかは、試合の行方を決める差がある。選手や審判に見えているだけでは足りない。観客席からもテレビでも明確に見えなければ、試合の興味は半減してしまう。
私は、サッカー・ピッチのラインは、人間がつくった最も美しいデザインのひとつではないかとさえ思っている。
19世紀半ばにサッカーが誕生したころには、ラインはなかった。4本のコーナーフラッグと、1対のゴールがあるだけだった。周囲のラインが引かれたのは1883年。その後、いろいろなラインの引き方が試され、1903年にゴールエリア、ペナルティーエリアなど、現在の形に近いものとなった。1937年、最後に「ペナルティーアーク」が書き入れられ、サッカーのピッチが完成した。以後66年間、大きな変更はない。
12センチ幅の真っ白なラインで描かれたピッチは、大小の長方形や弧や円形が組み合わされ、シンプルで機能的だ。試合前スタンドに座ってまだ選手が出てくる前のピッチを見るだけで、その美しさにうっとりとさせられるのは、私だけだろうか。
そのラインが、なぜか最近薄い。横浜に限らず、あちこちの競技場でラインが薄いのが気になっていた。Jリーグが始まったころには緑の芝に鮮やかなラインが引かれていたのだが、どうも最近、その白さが薄くなったように思えてならないのだ。
先週の横浜のラインがとりわけ薄かったのにはわけがある。ラインを引くためには、その直前に芝生を刈り込まなければならない。しかしこの週は雨が続き、刈り込み作業ができなかった。そのため、通常どおりに引いたラインが、あまり映えなかったのだ。
普通のグラウンドのラインは、「ラインカー」と呼ばれる用具を使い、石灰で引いていく。しかしプロの試合が行われる競技場では、石灰ではなく、芝生用の特別な塗料が使われている。石灰の白い粉をまくのではなく、芝生の上に塗っていくのである。いずれにしても、刈り込んだ後でないと、明確にならない。
ワールドカップでは、試合だけでなく、緑のピッチの美しさも人びとに大きな感動を与えた。会場の運営は、国際サッカー連盟(FIFA)の役員と、地元組織委員会の手で行われたが、FIFA役員の会場設営、すなわちピッチ管理の厳格さは、日本の担当者たちも驚いたらしい。
何時に水をまき、何時に芝生の刈り込みをするのか、そして何時にラインを引くのか、そこまで細かく指示を与えたという。
会場には、前日に広告看板やテレビカメラが運び込まれる。通常は、そうなったら、もう散水はできない。しかし会場によっては、美しい芝生で試合を迎えさせるために、試合日の朝に水をまき、芝を刈ってラインを引き直すよう指示があった。
「最高の選手たちが最高の試合をするんだ。最高の舞台にしなければならない」と、あるFIFA役員は言った。
彼は、ラインはどう引かれるべきかも、指示した。
「緑の芝の上で目立つように、光り輝くように真っ白にすること」
Jリーグのピッチにも、光り輝くラインがほしいと思う。
(2003年8月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。