サッカーの話をしよう
No.488 ピーター・ロビンソンの写真集
画面の右端に、コーナーキックをけろうとするボビー・チャールトンがいる。数百人の目が彼に集中している。
1970年のイングランド・リーグ。場所はイプスウィッチ。見つめているのは、ホームクラブのファンたちなのだろう。複雑な表情のなかにも、この国が生んだ不世出の天才選手に対する敬意があふれている。そして最前列を占める少年たちの瞳は、英雄への強いあこがれを物語っている。この時代、サッカーのスターたちは、莫大な富や名声で語られるのではなく、愛され、尊敬される存在として社会のなかで生きていた...。
イギリス人の写真家ピーター・ロビンソンさんから、立派な写真集が送られてきた。「FOOTBALL days」(ミッチェル・ビーズリー社刊)。1965年から撮り続けてきた膨大な写真のなかから、彼自身が選び抜いて構成した写真集だという。350ページというボリューム、内容の豊かさはもちろん、装丁や造本など、あらゆる面で第一級の写真集といえる。
44年2月23日、イングランド中部のレスター市生まれ。父は警察官、母は36年ベルリン・オリンピックでイギリス代表になった水泳選手だった。しかしピーターは映画に魅せられ、レスターの王立美術デザイン学院に進学する。その課題でサッカーの撮影をしてみようと思い立ったのがすべての始まりだった。
1965年、当時のイギリスでは、ビートルズとともに、58年の悲劇的な航空機事故から立ち直ったマンチェスター・ユナイテッドが大きな話題になっていた。なかでも19歳になったばかりのジョージ・ベストは、ビートルズに劣らない人気をもっていた。
両親に買ってもらったロシア製の安いカメラ1台と薬屋(当時、カメラやフィルムは薬屋で扱っていた)で借りた望遠レンズを手に、ヒッチハイクでマンチェスターへ向かった。2本のフィルムを買うだけで手一杯だったからだ。そのときの初々しいベストも、この本に収められている。
不思議な運命に引っ張られて、やがてロビンソンさんはサッカー写真家として確固たる地位を築いていく。70年からは、四半世紀にわたって国際サッカー連盟(FIFA)の公式カメラマンという顔ももった。新聞や雑誌など特定の媒体に縛られなかったことで、創作意欲が保たれ、次つぎと新しいテーマに取り組むことができた。
「とにかく頑固なんです」。日本のサッカー写真の第一人者である今井恭司さんは、彼の人柄をこう語る。
「周囲に流されない。他のカメラマンがいっせいに右に行くときに、彼は敢えて左に行く。へそ曲がりなのではない。『こういう写真を撮りたい』という明確な狙いをもって左へ行く。そうして撮られた写真から、サッカーを通じてものすごくいろいろな人生が見えてくるんです」
イングランドが中心の本だが、世界中のサッカーシーンが収められ、日本で撮影したものも十数点ある。そのなかのひとつ、横浜FCのサポーターの写真は、弾むようなサッカーの喜びが息づき、ちょっぴりのユーモアとともに表現されている。
実は彼、10年ほど前に日本人女性と結婚した。頑固でけっして社交的とはいえなかった彼が、本来もっていた優しさや思いやりを素直に表現できるようになったのは、それからのように感じる。こんなすばらしい写真集が出来上がったのは、奥さんの支えが大きかったからに違いない。
「サッカーが人びとの人生の中でどんな役割を演じているのか、写真を通じて、それを表現したかった」とロビンソンさん本人が語る写真集は、日本でも、大手書店やインターネット書店「アマゾン」などで入手することが可能だ。
(2003年11月19日)
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