サッカーの話をしよう
No.498 AFCの50周年
世界のサッカーを統一する組織である国際サッカー連盟(FIFA)は1904年創立。100周年を迎えた。
5月21日、FIFAはパリでフランス対ブラジルの記念試合を開催する。現在はスイスのチューリヒに広大な本部施設が置かれるFIFAだが、創立から26年間、1930年の第1回ワールドカップ後まではパリに本部があったからだ。
「記念年」はFIFAだけではない。日本が属する「地域連盟」のアジアサッカー連盟(AFC)と、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は、ともに1954年創立。50周年を迎えた。
「UEFAチャンピオンズリーグ」(クラブ選手権)や「ヨーロッパ選手権」(代表チーム選手権)の成功で、いまやFIFAの存在さえ脅かす巨大勢力となったUEFAの創立が、FIFA創立から半世紀も後だったというのは、少し驚きかもしれない。
南米では早くも1916年に南米サッカー連盟(CONMEBOL)が創設されたが、ヨーロッパでは、第2次世界大戦後、航空機の発達で日常的な国際交流が容易になったことで、ようやく「定期的に全ヨーロッパを網羅する大会を開催しよう」という機運が熟した。スイスのバーゼルで行われた会議でUEFA創設が決議されたのは、1954年6月15日のことだった。
AFCの誕生は同じ年の5月8日。ほんの少し早い。
創設のきっかけは、51年にニューデリー(インド)で行われた第1回アジア大会だった。アジアオリンピック委員会の手で開催された大会だったが、サッカーの人気はすばらしく、どの試合も超満員になった。これに力を得た各国サッカー協会の代表者が翌年のヘルシンキ(フィンランド)・オリンピックで集まった際に、全アジアをカバーする連盟創設の話がもち出された。
そして54年にマニラ(フィリピン)で開催された第2回アジア大会の期間中に3回にわたる会議を行い、5月8日の会議でAFC設立を決議した。当初のメンバーは、アフガニスタン、ビルマ(現在のミャンマー)、香港、インド、インドネシア、日本、韓国、パキスタン、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ベトナムの12カ国だった。
UEFAとAFCは、ともに創立直後の54年6月21日にFIFA傘下の正式な地域連盟と認められ、代表者をFIFA理事会に送る権利を得る。そして57年にアフリカサッカー連盟(CAF)、61年に北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)、66年にオセアニアサッカー連盟(OFC)が誕生し、FIFA加盟国は6つの地域連盟のいずれかに属する時代となる。
いまや「巨大企業」の感があるUEFAとは対照的に、同じ年に生まれたAFCは地域内の調整に忙殺され、課題が山積する現状だ。
東西1万キロ、東西5000キロに広がり、世界の総人口の3分の2にもあたる40億人をかかえるアジア。東西では6時間にもなる時差、複雑な宗教・政治状況のなか、大会日程を組むのも大変だ。
現在は、加盟44協会が、東(9協会)、東南(10)、中央および南(12)、西(13)の4地区に分割され、活動の効率化が図られているが、世界大会の予選になれば、地区を超えた交流になり、困難な状況が消えたわけではない。
さらに昨年には、アメリカによるイラク攻撃、新型肺炎(SARS)の流行で、始まったばかりのAFCチャンピオンズリーグなどが大きな打撃を受けた。
しかしAFCがきちんと機能しなければ、日本のサッカーも伸びていくことはできない。7月には中国で4年にいちどのアジアカップが開催され、「AFCの年」とも呼ぶべきことし、少しAFCの未来について考えてみたいと思う。
(2004年2月4日)
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