サッカーの話をしよう
No.508 なぜ11人なのか
「なぜサッカーは1チーム11人なのですか」
そう質問されて困った。「11」といえば、サッカーを象徴するといっていい重要な数字だ。しかしどんな理由でこの数に決められたか、明確な資料がない。私の説明も、推論の域を出ない。
サッカーの最初のルールは1863年に書かれた。その全14条には、1チームの人数の規定は含まれていない。「11人」が初めてルールに登場するのは、サッカーが誕生してから30年以上経た1896年のことである。
サッカーが生まれたころには、試合のたびに両チームで人数を取り決めていたらしい。それを「11人に固定しよう」と、主要クラブ同士で申し合わせしたのは1870年のことだった。翌年に始まったFAカップでは、大会規約に盛り込まれた。
ではなぜ、11人なのか。
競技としてのサッカーが、中世から行われていた「フットボール」という大衆娯楽に起源を発していることはよく知られている。しかし直接的には、イングランド各地の「パブリック・スクール」で19世紀にはいってから教育の一環として取り入れられたことが、近代的なスポーツとして成立する最大の要因となった。
パブリック・スクールとは、全寮制の男子私立中高等学校である。その寮対抗の形で行われたフットボールに、少年たちは熱中した。ただ、校内だけの競技だったから、各校はそれぞれのルールでプレーしており、進学先の大学ではどの学校のルールでプレーするかがいつも論争になった。「統一ルール制定」の動きが起こるのは当然だった。
さて、パブリック・スクールのフットボールには、大別すると、2つのタイプがあった。ひとつはボールを手にもって走るプレーを主体とするゲーム、そしてもうひとつは、原則として足でボールを運ぶゲームである。しかし1チームの人数は、学校によって実に多様だった。プレーするグラウンドの大きさがさまざまだったからだ。ある学校では、下級生は15人制、最上級生は6人制とされていた。体力に合わせたのだ。
足でボールを運ぶドリブル主体のゲームを伝統とする学校に、ロンドン郊外のハロー校があった。「ハロー・フットボール」のルールでは、試合はキックオフで始まり、「ベース」と呼ばれた幅5・4メートルのゴールがあり、オフサイドがあり、GKの原型となる選手もいた。現代のサッカーに近いゲームだった。
この学校には、縦135メートル、横90メートルのグラウンドがあった。その広さにちょうどの人数だったのだろう、1814年に「1チーム11人」と定められた。記録に残る最古の「11人」である。1863年に制定されたサッカーのルールはこのハロー校のものに近かったから、グラウンドの大きさも1チームの人数も、自然にハロー校のものが基準になったのではないだろうか。それが私の推論だ。
ところで、「なぜ11人か」というテーマで、忘れられない名解説がある。サッカー記者の大先輩である牛木素吉郎さんが、69年の「サッカーマガジン」に書かれた話である。
「人間が片目で同時に識別できる数は、4つがせいぜいであって、つまり、1人の人間は両眼で8人しか監督できない。そこで、主審と線審2人の計3人で合計24人を監督するのが限度なのである。両チーム合わせて、選手の数は22人ではないか、という質問に対してお答えすると、残りの2人は、審判員が、おたがいに、他の審判員を監督するのにあてられるわけである」
もちろんジョークである。しかし19世紀のパブリック・スクールのルールをいくら掘り起こしても、この創作ジョークの簡明さにはとてもかなわない。とにかく、サッカーは1チーム11人なのである。
(2004年4月21日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。