サッカーの話をしよう
No.516 ポルトの人びと
ポルトからリスボンに向かうポルトガルご自慢の特急「アルファ」号は定刻に出発した。到着まで3時間、非常に快適な旅だ。
イベリア半島の西の3分の1ほどを占めるポルトガルは南北に長い国。その南寄りに首都リスボンが、そしてその北約300キロにこの国第2の都市ポルトがある。私は今回のヨーロッパ選手権取材のベースにポルトを選んだ。十数年前に取材に訪れて1週間あまり滞在し、すっかり気に入ってしまったからだ。
ポルトはローマ時代から栄えた港町。ポルトガル王国発祥の地であり、国名もこの町に由来すると言われている。しかし1255年に首都がリスボンに移ると、政治も経済も新首都を中心に動くようになり、ポルトは有名なワインの産地として、そして北部の中心都市としての役割に甘んじることになる。
それだけに、ポルトの人々には、リスボンに対して強い対抗意識がある。
「ポルトが働き、そのカネでリスボンが遊んでいるんだ」。人々はそう言う。
十数年前に滞在したときに強く感じたのは、ポルトの人々の実直さと親切さ、そしてやさしさだった。大都市にありがちなとげとげしさがなく、店やレストランやタクシーでいろいろな人と話すたびに穏やかな笑顔と出合い、心が安らぐ思いがした。
今回のヨーロッパ選手権も、そこでまた過ごしたいと思った。ただリスボンと比べるとポルトは極端なホテル不足で、出発前に予約できたのは最初の2泊分だけだった。
「ペンソン・アビス」は、狭い道がカーブしながら入り組んで中世の雰囲気を残すポルトの旧市街にあった。フロントに受付係がひとりいるだけ。簡素なペンションだった。しかし一泊すると、同行したカメラマンの今井恭司さんと私は、すっかりこのホテルが気に入ってしまった。
スタッフがとても感じがいい。穏やかで静かで、そして親切だ。1日リスボンに出かけることになっていたが、翌日からもここに泊まりたいと受付係のローザに頼むと、「確約はできないけれど、とにかく戻ってきて。努力するわ」と言ってくれた。翌日戻ると、最高の部屋が私たちを待っていた。しかも大会前にインターネットで申し込んだ際の「EURO特別価格」ではなく、この日からは通常料金だった。結局、私たちはずっとここに居つくことになる。
英語のできるスタッフは少なく、一夜漬けのポルトガル語で足りないところをスペイン語で補い、さらに簡単な英語も動員してのコミュニケーションは、空き部屋がなく深刻な状況のときにも、なぜかとても楽しい。
ペンションの近くには、私たちが毎日のように昼食に通う「新世界」という名の食堂がある。近所の労働者向けの食堂に通い詰めたのは、そこのボーイの実直な感じがとても気に入ったからだ。
20代前半だろうか。彼はいつも少しはにかんだ様子で私たちを迎える。そして注文をとると、まるで「かしこまりました」とでも言っているような様子で、聞こえるか聞こえないかの言葉を発し、頭を下げるのだ。
親子4人で経営する店。口ひげを生やしたお父さんは頑固親父ふうだが、お母さんはいつも親切で、閉店作業中に駆け込んだときにも肉を焼いて出してくれた。そして長女はいつもカウンターのなかでこまめに働いている。4人の実直さが、近所の人々をいつもたくさん集めている。
十数年を経て再訪したポルト。地下鉄ができ、近代的なビルも立ったが、人々はまったく変わっていなかった。きょうリスボンで試合を見て、また明日ポルトに戻るが、その滞在ももう長くない。
心の片隅に、少し旅愁がわいてくる。
(2004年6月23日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。