サッカーの話をしよう
No.520 審判を聖域化しないAFC
普通の客室からベッドを取り払い、10数個の椅子とプロジェクター用の白いスクリーンを置いただけのホテルの一室。しかしそこでは、アジアのサッカーを担う「もうひとつのチーム」の重要なミーティングが行われていた。
7月18日日曜日午前10時。中国・北京の高級ホテルの11階の部屋で始まったのは、前日に工人体育場で行われたアジアカップの開幕戦、中国対バーレーンの審判団の「レフェリング反省会」だった。
出席者は、この試合を担当したスブヒディン・モハド・サレー主審(マレーシア)を中心とした4人の審判員と、この大会の北京地区を担当する残り4人の審判員、そしてアジアサッカー連盟(AFC)審判委員会委員長で、「アジアの審判員の父」といわれるファルク・ブゾー氏(シリア)。さらに、私を含め、数人のジャーナリスト...。
そう、AFCは、審判員の反省会を、報道関係者にもオープンにし、同席だけでなく、場合によっては質問や発言まで許したのだ。世界でも初めての試みだという。
まず、サレー氏が「自己評価」を求められる。
「開幕戦で、多くの人が私たちを見ているという責任感を感じた。しかしプレッシャーはなかった。全力を尽くすことだけを考えた」
前に進み出た37歳の陽気な主審は、自信に満ちた言葉で振り返った。
この試合では、1点をリードされた地元・中国が後半猛攻をかけ、10分過ぎにPKを与えられて追いついた。そのPKの判定と、そして、いったんはPKからシュートを決めたDFの鄭智にキックのやり直しを命じたことが、大きな話題となった。
「ペナルティーエリア内でバランスを崩して倒れたバーレーンの選手が、意図的に手を伸ばしてボールに触れたのを確認した」。サレー主審はそう説明した。ビデオを再生すると、その言葉どおり、明確なハンドの反則だった。
「この判定の良かったポイントは何か」。ブゾー委員長が審判たちを見回す。
「ポジショニングが的確だった」。日本の上川徹主審が手を上げて答える。
「そう、距離も角度も非常に的確だった。それから?」
「自信にあふれていた」
そう答えたのは、第4審判を務めたレバノンのタラート・ナジム氏だ。
「そのとおり。笛の吹き方も、ペナルティースポットを指し示す動作も、冷静で、自信が強く感じられた。だから選手たちからは何も抗議が出なかっただろう?」
ブゾー委員長の言葉に、サレー主審は満足そうな笑顔を浮かべた。
驚いたことに、PKのやり直しを命じたのは、サレー氏にとって審判生活で初めてのことだったという。しかしキッカーの鄭智がける前に他の中国選手が大きくペナルティーエリアにはいっていたため、迷うことはなかった。
「的確な判定だった。これで、今後、選手たちが注意するようになるだろう」と、ブゾー委員長はほめた。
ほめるだけではない。編集したビデオを見ながら、細かな点まで批評し、改善点を指摘した。そしてサレー主審には、「いいレフェリングだった。しかし満足してはいけない。満足すれば、その後は落ちるだけだ。次に担当するときには、もっといい試合をしようと努力しなければならない」と、強い言葉で要求した。
アジアの審判レベルを上げたいというブゾー委員長の情熱と審判員たちの真剣な取り組みに、深い感銘を受けた1時間だった。そしてまた、こうした話し合いを審判委員会と審判員だけのものにせず、すなわち審判を「聖域化」せず、ファンにも広く知ってもらおうと、報道関係者にまで公開したAFCの姿勢は、それ以上に大きな驚きだった。
(2004年7月21日)
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