サッカーの話をしよう
No.524 歌う人と聴く人
先週コルカタで行われたインドとのワールドカップ予選は、私にとっても特別な体験だった。「アウェー」の試合はたくさん経験しているが、10万人近くの相手サポーターの前での試合というのは初めてだったからだ。
インドのファンは非常にフェアだった。日本チームに敵意を示すわけではなく、ひたすらインドに声援を送った。インドがボールをもってチャンスを迎えそうになると、猛烈な声援となった。
10万人がいっせいに発する声がどんなパワーをもつか、表現する力は私にはない。しかしピッチ上の日本選手たちが少なからぬプレッシャーを受けたのは間違いない。
一部に組織化された「応援団」のような人びとはいたが、スタンドの大部分は普通のファンのようだった。しかしその大半がいっせいに大声を出してインドを応援するのだ。その迫力は、どんなJリーグのスタジアムでも経験できないものだった。
その試合を見ながら、だいぶ前に、あるJリーグ・クラブの役員に提案し、日の目を見なかった「歌うスタジアム」のことを思い出していた。
別に大きな費用を必要とする話ではなかった。ただ、スタジアムに集まった全員が大声で歌えるような雰囲気をつくろうという話だった。
そんなことを思いついたのは、96年にイングランドで見たヨーロッパ選手権の光景が印象的だったからだ。
この大会では、試合前やハーフタイムにいろいろな音楽を流したが、多くはファンに歌わせるための音楽だった。
クイーンの「We will Rock You」では、曲が始まるとスタンドは手拍子で包まれ、サビの部分になると全員が歌った。試合前の盛り上げにこれほど効果的な曲はなかった。
この大会で大ヒットした「Three Lions」がハーフタイムにかかると、スタンドのファンはみんな立ち上がり、踊りながら歌った。「66年にワールドカップで優勝して以来、イングランドは負け続けだったけれど、私たちはいつでも胸に3頭のライオンのマークをつけたイングランド代表を愛している」という、ちょっぴりのペーソスを交えた歌詞は、イングランドの人びとの心をとらえていた。
歌っているファンの表情を見ると、本当に楽しそうだった。大声を出して歌うことの開放感、そしてスタンドの全員が歌うことで生まれる心を揺さぶるパワーを、誰もが楽しんでいた。
日本では、歌うのは一部のサポーターだけだ。同じチームを応援していても、一般のファンは、手拍子はするものの自分では歌わず、サポーターの歌を聴いているだけだ。それでも十分楽しい。しかしもしスタジアム全体で歌う雰囲気をつくることができたら、サッカー観戦はもっともっと楽しいものになる。
試合中は固唾を飲んでプレーを見守り、好プレーに歓声を上げる。しかしハーフタイムになったら、リラックスした雰囲気のなか、みんなといっしょに歌い、応援とはまた違った喜びを体験する。そんなスタジアムになったら、ファンの数もどんどん増えていくのではないか----。そう思ったのだ。
コルカタでは歌は出なかった。しかし誰もがいっせいに大声を上げてインドを応援していた。そこには「歌う人と聴く人」の区別はなかった。10万人がひとつのプレーに反応し、いっせいに声を上げていた。
懸命な声援にもかかわらず、インドは0−4で敗れた。しかし人びとは試合後も驚くほど陽気で、なぜか幸福そうだった。それは、10万もの人びとが心をひとつにして声援を送り続けるという非日常的なイベントに参加できたことから生まれた幸福感ではないか----そう感じた。
(2004年9月15日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。