サッカーの話をしよう
No.529 ジーコの真意
来月17日に埼玉スタジアムで行われるワールドカップのアジア第1次予選最終戦、シンガポール戦についてのジーコ日本代表監督の「計画」が波紋を広げている。
先週マスカットでオマーンに1−0で勝ち、日本はこの試合を待たずに最終予選進出を決めた。残る1試合で、ジーコは「日本のために長年戦い、歴史を築いてきてくれた人びとにプレーしてもらいたい」という意向を表明した。
試合後に彼から直接その考えを伝えられた日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは、その話のなかにカズ(三浦知良)や中山雅史の名前が挙がったことを明らかにした。
さまざまな意見が出ている。「現役である以上、常に代表を目指してプレーしている」と語る選手たちに対して失礼ではないかという意見。若い選手にチャンスを与えるべきだという意見...。もろ手を挙げて歓迎の空気ではない。
最初に彼がこの計画について漏らしたのは、試合直後の記者会見においてだった。
「シンガポール戦はどう戦うのか」という質問が出たのは、オマーンとの対戦を振り返った後だった。
「いまは最終予選に進出した喜びをかみしめたい」。そう切り出した後、ジーコの表情がゆるんだ。そして「実はひとつのアイデアがあるんだ。ただこれは川淵キャプテンと話し合ってからでないとお話しできない」と続けた。
どんなアイデアなのか、その場では、彼は具体的なことは話さなかった。試合日の深夜の便で現地を離れた私がジーコの計画を知ったのは、翌日、関西空港に到着して買った新聞を開いたときだった。
この計画に異論を唱える人びとの思いはわかる。私も、これまで出場機会に恵まれなかった選手や、最終予選に備えて若い選手を起用するのがいいのではと、漠然と考えていた。同時に、国際Aマッチは、その時点で可能な最強のチームで出場することを義務付けられた試合でもある。
だがあのときのジーコの表情を思い起こすと、簡単に「それは違う」とは言い切れない。
記者会見の場でのジーコは、常に感情を押し殺し、ほとんど「沈鬱」といった表情で淡々と話す。しかしあの夜、「ひとつのアイデアがある」と語ったときだけは、まるでいたずらを見つかった子供のような表情を浮かべたのだ。
就任以来、2006年のワールドカップに日本を連れていくことを最低限の目標として彼は戦ってきた。予選はもちろん、強化のための準備試合も、勝つことだけを第一にして指揮をとってきた。
そうしたなかで、彼には、ひとつの「負い目」があったのではないか。監督としていろいろなものを切り捨ててこなければならなかった。Jリーグ立ち上げの3年も前から日本のサッカーにかかわってきた彼にとっての最大の負い目は、日本サッカーの現在を築くために奮闘しながらも、現在ではメディアでもあまり取り上げられなくなってしまった数々の選手たちに対するものだったに違いない。
2年間、まじめ一筋で日本代表の強化に心を砕き、自らにも選手たちにも厳しい姿勢で臨んできたジーコ。そのジーコが初めて見せた「スキ」は、日本のサッカーに対する彼からの「敬意」のように、私には感じられる。もしそうであれば、この計画はあくまでもジーコの心をとらえ続けてきた「功労者」たちに対する、彼個人の敬意である。けっして人気投票で決するようなものではない。
2年間に渡る苦闘の末、ジーコは、アジアの強豪と比較してもけっして弱くはないオマーンを相手に、アウェーで堂々と勝てるチームをつくり上げた。彼自身の口でその計画の全貌を明らかにされるまで静かに待つのが、ジーコに対する私たちの「敬意」のように、私は思う。
(2004年10月20日)
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