サッカーの話をしよう
No.532 異変? 天皇杯
先週末に行われた天皇杯の4回戦で、初登場のJ1クラブ16のうちなんと7チームが敗退した。5回戦、ベスト8をかけた戦いに、J1のクラブが9つしか残らなかったのは、J1が16クラブになって以来初めてのことだ。
毎年元日に決勝戦が行われる天皇杯全日本選手権。所属リーグを問わず日本全国の協会登録チームに門戸が開かれ、約6000のチームが争うノックアウト方式の大会だ。日本サッカー協会(当時の名称は「大日本蹴球協会」)が創設された1921年(大正10年)にスタートし、何回かの中止はあったものの、ことしで第84回を迎えた。
元日決勝は1968(昭和43)年度の第48回大会に始まった。この年、「生の新年風景を伝えたい」とNHKが「NHK杯元日サッカー」を開催し、好評を博したことから、それまで年が明けて1月中旬から開催されていた天皇杯を元日に決勝戦ができるよう前倒ししたのが始まりだった。「NHK杯」は現在も天皇杯とともに優勝チームに授与されている。
69年1月1日、初の「元日決勝」の舞台に立ったのは、ヤンマー(現在のC大阪)と三菱(同浦和)。前年のメキシコ・オリンピックのヒーロー釜本邦茂と杉山隆一の対決となり、東京の国立競技場には3万5000人という当時のサッカーでは驚くべき大観衆が集まった。試合は釜本が立ち上がり2分に豪快なシュートを決め、1−0で押し切ったヤンマーが初タイトルを獲得した。
当時は日本全国の登録チームに門戸が開かれていたわけではなく、出場はわずか8チーム。72年度の第52回大会から「オープン化」され、何回かの改革を経て、現在では決勝大会に80チームが出場する大規模な大会となった。
昨年までは11月末にスタートし、J1のクラブはJリーグのシーズンが終了した12月になって登場していた。しかしすでに翌年の契約交渉が始まる時期であったため、チームのモチベーションを保つのが難しいという弊害が指摘されていた。
そこで今季は9月に1回戦をスタートし、J1クラブが登場する4回戦も、まだJ1のシーズン中の11月に設定した。だがJ1クラブは残る3節のリーグ戦に備えて疲れの見える主力を休ませるチームも多く、7チームが下位リーグクラブに敗れた。勝った9チームも、6チームが1点差の勝利だった。
J1を倒した7チームのうち5つはJ2のチームだったが、今大会の驚きは、J2の下のJFLの2チームがはいっていることだ。
群馬ホリコシは柏を1−0で下した。後半はじめに退場で10人になりながら、チーム一体の守備でしのぎ、見事な速攻で決勝点をもぎ取った。ザスパ草津は、C大阪に先制された後に猛反撃し、あっという間に2点を取って逆転勝ちした。草津は来季J2昇格が有力だがが、群馬は希望していたJ2入りを今季は断念した。群馬県のライバル同士が手を取り合うように5回戦進出を果たしたのは興味深い。
この両試合はともにテレビ中継されたが、どちらも立派な試合で、チームワークと戦術の徹底、そして戦い抜く精神力でつかんだ勝利だった。技術的にも、J1の選手に見劣りしていなかったのは、日本サッカーの選手層が厚くなってきた証拠だろう。12月中旬に行われる5回戦で、草津はJリーグのディフェンディング・チャンピオン横浜と、そして群馬は山本昌邦監督率いる磐田と対戦する。
下位リーグクラブが上位リーグクラブを倒す「番狂わせ」は、天皇杯のようなノックアウト方式の大会を盛り上げる大きな要素でもある。J2クラブ、JFLクラブの快進撃は元日の国立競技場まで続くだろうか。
(2004年11月17日)
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