サッカーの話をしよう
No.535 ひとりの時間の大切さ
サッカーという競技が世界中の少年少女に愛されている要因のひとつは、「チームゲーム」という点にあるだろう。突き詰めれば、みんなで楽しく遊ぶことができるのだ。
試合だけでなく、練習でも必ず仲間がいる。極端に言えば、練習に対する積極的なモチベーションがなくても、グラウンドに行けば仲間がいる。その仲間と声を掛け合い、笑い合い、競争し合うことで、楽しい時間を過ごすことができる。
チームゲームには個人競技にはないたくさんの素晴らしい点がある。互いに尊重し合い、励まし合い、助け合うこと、集団のなかで自分自身をコントロールすること、そしてチームに対する愛情...。ひとりの力で勝つことはできない。自分自身の目標を達成しようとしたら、仲間と力を合わせて戦う以外にない。
しかし最近、私は、「孤独の時間の必要性」を考えるようになった。サッカー選手として一人前になるには、仲間から離れてひとりでサッカーと向き合う時間が、その成長過程のなかで、あるいは選手として戦い続けるなかで不可欠なのではないか----。完全に考えがまとまったわけではないが、少し説明してみたい。
中田英寿や小野伸二の「強さ」の根源を考えてみる。彼らは、日本国内では飛びぬけた存在だった。高校を卒業してJリーグのクラブにはいると同時に中心選手となり、やがて日本代表でも不可欠な存在となった。そして20代はじめという若さでヨーロッパのトップクラブに移籍、そこでもすぐに自分の力を証明し、確固たる地位を築いた。
高い技術と卓越したサッカー頭脳をもち、身体面でも激しいサッカーに適応できるものをもっていたのは確かだ。しかしそれ以前に、彼らには、言葉が通じないところに行っても自分自身を失わない強さがあった。ではその強さはどこから生まれたのだろう。
小野のボールテクニックはヨーロッパでも多くの人を驚かせているが、それを生んだのは少年時代の「ひとり」での練習だったという。小学校から帰ると、少年・小野伸二は、近所の仲間をさそって空き地でのサッカーに熱中した。やがて夕方になって仲間がひとり、ふたりと帰り、ひとりきりになっても、彼は壁にボールをけったり、ボールリフティングをしたり、時間を忘れて練習していたという。
小野は20歳のとき左ひざに大けがを負い、完治まで4カ月間、完全復調まで2年間近くを要するという苦闘の時期があった。チームから離れてリハビリに努めなければならなかった時期も、彼をさらに強くしたのではないか。
中田は、自分が陰で努力してきたことなど漏らさない。しかし彼にも、チームや仲間から離れて、ひとりでサッカーと向き合い、自分を高めるための努力があったはずだと、私は想像している。
一時期いじめが横行した影響なのだろうか、現代の日本人は孤立することを何より恐れている。その傾向は、子供たちの世界だけでなく、多くの集団にある。そしてサッカーのプレーヤーたちは、「チーム」という集団にいることだけで安心し、自分自身の全存在をそこに寄りかからせてしまっている。
中田や小野のようになるには、チームによりかからず、そこから離れて真剣に自分自身を高めるための時間が必要ではないか。そうでなければ、チームのために役立つ「強さ」は生まれない。
自分自身のなかでうまく整理できていないことを書くのは、ジャーナリストとして恥ずかしい。しかし世界に向けて壁にぶつかりかけている日本のサッカーが今後飛躍するには、一人ひとりの選手がもっと強くならなければならない。この問題はその重要な要素ではないかと思うのだ。
(2004年12月8日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。