サッカーの話をしよう
No.537 なでしこ元年
12月18日、東京・北区の西が丘サッカー場で日本対チャイニーズ・タイペイ(台湾)の女子国際試合があった。
上田栄治監督から大橋浩司監督に交代しての第1戦。「なでしこジャパン」という名称ですっかりおなじみになった日本女子代表の攻撃陣には、澤穂希、荒川恵理子というアテネ・オリンピックのヒロインたちとともに、大野忍(20)、宮間あや(19)という新世代のアタッカーが並んだ。
両ウイングに位置したこのふたりの活躍により前半だけで8得点を記録。後半には荒川に代わって出場した北本綾子(21)がハットトリック、計11−0という大勝で、「大橋なでしこ」が船出した。
上田栄治監督にリードされてアテネ・オリンピックに出場したチームは、完成されたバランスをもっていた。大橋監督は、そこに敢えて「風穴」を開け、新しい能力をもった若手を起用した。その若手が伸び伸びと活躍したことで、大きな可能性が広がった。
「2005年は、1年間をかけて個のスキルアップ、個の戦術アップに努める」と大橋監督。元中学教師の熱血監督の下、なでしこジャパンがさらに成長する予感がした。
2004年の日本サッカーには、大きな話題がいくつもあった。ジーコ監督率いる日本代表のワールドカップ1次予選突破、アテネ・オリンピックへの男女代表出場、そして浦和レッズのJリーグ第2ステージ優勝...。しかし10年後には、女子サッカーの認知が高まった年として記憶されるのではないか。
4月24日、東京・国立競技場に3万1324人という大観衆を集めて行われたオリンピック予選で、強豪北朝鮮を3−0で下した試合が、大きな転換点だった。
10年間勝ったことのない相手に勝ち、難関の「アジア・ベスト2」にはいってオリンピックの出場権を獲得できたことだけではない。その試合内容が、これまで女子にはあまり興味のなかったファンを夢中にさせるほどすばらしかったからだ。
先制点を決め、2点目を生み出した荒川をはじめ、個々の選手が自分の個性を生かしきって戦った。上田監督がくみ上げたチーム組織もすばらしかった。そして何よりも、選手たちの燃えるような情熱、サッカーを愛する純粋な気持ちが一プレーごとに力強く伝わり、感動を与えた。
「オリンピック出場」が近づくと注目がさらに増した。日本サッカー協会が公募で決めた「なでしこジャパン」という秀逸な愛称もあっという間に広まった。そしてすべての競技に先駆けて行われたオリンピックの初戦で、優勝候補のスウェーデンを相手に攻撃的なプレーを展開、荒川の1点で歴史的な勝利を得た。
日本サッカー協会は1980年代から女子の普及と強化に取り組んできたが、2002年からはよりいっそう力を入れた。その最初の成果がアテネ・オリンピックだった。
だが派手な扱いを受けても、日本の女子サッカーは登録選手数がまだ2万人あまり。トップリーグのL・リーグもそう多くの観客を集められるわけではない。代表クラスでも、多くの選手がアルバイトで生計を立てながらプレーしている。日本代表の強化とともに、競技人口を何倍にも増やし、競技としての人気を高める努力を続ける必要がある。
12月18日、西が丘サッカー場に集まった観客は3549人だった。定員8000人のスタジアム。バックスタンドはほぼ満員になり、雰囲気は良かった。オリンピックも何も関係ない試合としては上々だと感じた。
ここが本当のスタート地点だ。これからの努力で、国立競技場を満員にできるようにしよう。10年後に、「あれが『なでしこ元年』だった」と言われるように...。
(2004年12月22日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。