サッカーの話をしよう

No.543 子供の人権を守る指導

 「指導者は子どもの人権を守らなければなりません」
 数年前、あるサッカーコーチを取材していたとき、こんな言葉にぶつかって、小さからぬ衝撃を受けた。サッカーの指導に「人権」という考え方が入れられているとは、考えてもみなかったからだ。
 かつてのスポーツ指導では、相手が子どもでも体罰が当たり前のように行われていた。最近はずいぶん減っているようだが、それでも「言葉の暴力」はまだまだ横行している。叱らなければならないとき、「ばかやろう」「やめてしまえ」などという言葉を発する指導者が少なくないという。こうした言葉が、どれほど子どもを傷つけているか、指導者は考えてみるべきだと、そのコーチは力説した。
 叱るときだけではない。安全や健康面の配慮がない練習や試合、子どもの発育・発達の過程を無視した過度のトレーニングなど、肉体面でも気を配らないと、スポーツ指導が虐待と同じになってしまうと言うのだ。
 「子どもでも、一個の人格をもった人間です。その人権を守ることを、指導者は強く意識しなくてはなりません」
 指導者は、ほとんど例外なく、子どもたちを愛し、うまくなってほしい、強くなってほしいと考えている。だがそうした気持ちがあるからと言って、どんなことをしても許されるというわけではない。
 スポーツの指導を受ける子どもたちにとって、大人の指導者は「権威」そのものであり、非常に強い立場にある。チームのなかでプレーヤーを評価し、試合に出場させる権限をもった唯一の存在である「監督」という立場であればなおさらだ。指導者側が「愛のむち」と考える言葉や行為でも、「強者」によって行われたとき、「弱者」である子どもはそれから逃れる知恵もなく、深く傷つくことになる。
 そう考えると、たしかに、子どもに対するスポーツ指導の基本的な考え方のひとつとして「人権の尊重」があることが理解できる。
 法務省の資料によれば、子どもの人権に関して取り組むべき主要な課題として、「いじめ」、「体罰」、「児童虐待」の3つが挙げられている。スポーツ指導における子どもの人権侵害は、あまり問題視されていないようだ。しかし実際に調査すれば、数え切れないほどのケースが報告されるに違いない。
 私はいま、日本サッカー協会の公認C級指導者養成講習会を受講している。主として12歳以下の少年少女を指導するコーチを養成するコースである。そこでは、いろいろな例を挙げて、子どもたちの人権を守ることが強調されている。数年前に話を聞いたコーチは日本協会の指導者養成プログラムの中心的な存在のひとりだったが、こうした講習を通じて、その考えが広まりつつあるようだ。
 子どもたちはやがて大人になり、そのなかから次代の指導者が生まれる。彼(彼女)がもし、子どものときにひどくどなられるような指導ばかり受けていたら、彼(彼女)も、次世代の子どもたちの人権を侵す指導者になる可能性は高い。そうして受け継がれ、続けられてきたのが、かつてのスポーツ指導だった。
 誤った連鎖は断ち切らなければならない。日本の社会全体が、スポーツの指導を子どもの人権に関する課題のひとつと認識し、早急に取り組む必要がある。
 スポーツの振興は健康な国づくりの重要な柱に違いない。だがその前に、スポーツ指導のなかで子どもたちの人権が守られているか、もういちど見直す必要がある。仮にワールドカップに優勝するような日本代表チームができたとしても、それがもし、無数の子どもたちへの人権侵害の上につくられたものであれば、この国に幸せをもたらすものにはならない。
 
(2005年2月9日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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