サッカーの話をしよう
No.547 サンキューの日
ちょっとしたプロ選手になった気分だった。
一流のスポーツトレーナーが私の体を懸命に手入れしてくれるのだ。全身をマッサージしてリラックスさせ、その後に鍼(はり)やオイルで丹念に治療を施し、最後はキネシオという特殊なテープで保護してくれる。それも週2回、1カ月以上にもわたって...。
1月半ばから、日本サッカー協会公認のC級指導者養成講習を受けた。Jリーグの監督をするために必要なコーチングライセンス「S級」の下が「A級」、その下が「B級」で、「C級」はさらにその下。いわばサッカーコーチ学の入門編といったところだ。
しかし「入門編」といっても、講義や実技・指導実践を含めて50時間という講習は非常に内容が濃く、日本のサッカー指導の充実ぶりとレベルの高さが実感されるものだった。私が受講したコースは週末ごとの開催だったが、1カ月間、講習のことが頭から離れたことはなかった。職業柄、何十年間もサッカーのことばかり考えているのだが、この1カ月間は格別で、目を開かされる思いの連続だった。
充実した、楽しい日々だった。最終日には、いっしょに受講した仲間の多くが、こんなに充実した日々が終わってしまうのが寂しいと、異口同音に語った。しかし私にとっては、同時に、不安で苦しい日々でもあった。
私は、10年ほど前に両足のアキレス腱を断裂寸前のところまで痛めた。実技では1日に6、7時間もプレーしなければならず、指導実践では指導を受ける選手役をこなさなければならならない。かなりハードだと聞いていたので、昨年末にこの講習の受講が決まって以来、1月中旬にスタートするまでにできる限り体調を整えておこうとトレーニングを始めた。
ところが開講の直前、逆に古傷を悪化させてしまった。日本代表チームやJリーグのクラブにトレーナーを派遣している有名なマッサージ治療院に駆け込み(実際には「這い込み」)、治療を受け、テープで保護してもらって、不安のなか受講が始まった。
以後は、月曜日に治療を受け、金曜日にもマッサージとテーピングしてもらって週末の講習を受けるという繰り返しとなった。毎週月曜日には歩行さえ困難だった私のアキレス腱。この治療がなければ、とても最後まで続けることはできなかっただろう。
治療を受けながら、私は、最後までがんばらなければならないという気持ちがどんどん強くなっていくのを感じていた。「何としても、この足で最後までグラウンドに立たせよう」というトレーナーの思いが、彼のひと押しひと押しから伝わってきたからだ。
日本代表クラスの一流選手たちの筋肉の手入れをするトレーナーが、悪質なうえにぼろぼろな私の体にこんなにも真剣になり、そして心を込めて治療にあたってくれている。それを無駄にすることはできないと思ったのだ。
トレーナーの人たちだけではない。私の周囲で、いろいろな人が応援し、支援してくれていた。女子チームの選手たちは、練習のたびに「がんばれ」と声をかけ、講習の期間、週末の練習や試合に出られない私を応援してくれた。
熱意あふれる指導をしてくれた講師やインストラクターの人びと、足を引っぱってばかりの私に文句も言わず、黙ってカバーし、励ましてくれた受講生仲間...。私にとってのC級指導者養成講習会は、サッカー指導の目を開かせてくれただけでなく、いろいろな人びとに助けられて自分がいるということを、改めて思い起こさせる機会となった。
きょうは3月9日。「サンキュー」の日。自分を助け、支えてくれているいろいろな人びとのことを思い、心のなかだけでも、「ありがとう」と言ってみることにしよう。
(2005年3月9日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。