サッカーの話をしよう

No.549 イランのサッカー

 今週金曜日(25日)にワールドカップ予選で日本を迎えるイランは、アジアカップ3回、アジア大会4回の優勝を誇るアジア屈指の「サッカー強国」だ。アーリア系のイラン民族は体が大きく頑強で、しかも闘争心にあふれている。アジアのチームだけでなく、ヨーロッパのチームでさえ、イランと戦うときには相当な覚悟を必要とする。
 西アジアの高原の国イラン。東西の文化が交わるところとして古代から栄え、紀元前5世紀から約2500年間にわたって数々の王朝が強国を建ててきた。そんなイランにサッカーがはいったのは20世紀のはじめ。担い手は、西ヨーロッパ諸国に留学して帰国した若者たちだった。
 この国のサッカー史は政治と切り離すことができない。18世紀末からのカージャール王朝が衰え、ロシアのコサック旅団の士官だったレザー・ハンが「パーレビ朝」を打ち建てたのが1925年。新国王は積極的に近代化を進め、スポーツ振興にも力を入れた。

 20世紀初頭から開発が始まった石油が、この王朝の切り札だった。当初イギリスに握られていた利権は、第二次世界大戦後、第二代国王パーレビをかついだアメリカの手に渡り、全世界の埋蔵量の約1割を占めるといわれる石油資源の利権を操って、パーレビは内政改革を進めた。
 彼は大のサッカーファンだった。スイス留学中に学校チームの主将まで務めた彼は、クラブの育成と代表強化に力を入れた。60年代から70年代にかけて経済が急成長するなか、イランはアジアカップで3連覇。そのピークが、78年のワールドカップ・アルゼンチン大会出場だった。
 1次リーグで敗退したものの、強豪スコットランドと1−1で引き分ける健闘を見せ、レベルの高いプレーが世界の目を引いた。この大会で活躍したDFエスカンダリアンは、当時ブームを迎えていたアメリカのプロリーグに移籍、ペレ、ベッケンバウアーらとコスモスでプレーした(彼は引退後もアメリカに住み、息子のアレクコはいまアメリカ代表選手になっている)。

 実は、このワールドカップ出場は、国内的には大きく揺れていた時期の出来事だった。イスラム教を軽視したパーレビの政策が国民の反感を買い、デモが始まったのがこの年の1月。12月にはそのデモが最高潮に達し、79年1月にはついにパーレビが国外に脱出、亡命していたイスラム指導者のホメイニが帰国して「イラン・イスラム共和国」を打ち建てたのだ。
 80年には隣国イラクとの間で国境をめぐる紛争が持ち上がり、10年近くにわたって戦火が続く。当然のことながら、イランのサッカーは大きな打撃を受けた。
 79年11月にホメイニ支持派の学生たちが起こしたアメリカ大使館占拠事件を契機にアメリカは今日まで続く経済制裁を発令、以後、経済的には苦しい状態となっている。しかし90年代以降のイランは、国内的には、非常に安定した時期と言ってよい。サッカーがよみがえったのはそのおかげだった。

 98年には20年ぶりのワールドカップ出場も達成した。マレーシアのジョホールバルで日本との死闘の末敗れ、疲れた体を引きずって強豪オーストラリアとの連戦に臨んだイランだったが、0−2で迎えた第2戦の後半に一瞬のスキをついて連続ゴールを決め、同点に追いついて出場権を獲得した。その粘り強さ、最後まであきらめない精神力こそ、イラン・サッカーの最大の力に違いない。
 イラン代表も、3月17日に国内組だけで合宿にはいり、国外組は20日に合流した。イランのメディアは連日のように日本情報を流し、日本代表監督ジーコのひと言ひと言まで紹介している。
 予報では、3月25日のテヘランは晴れ時々曇り、最高気温13度、最低気温11度、湿度67パーセント、無風。「決戦」は目の前だ。
 
(2005年3月23日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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