サッカーの話をしよう

No.560 予選突破の本当の喜び

 テレビに映し出されたのは、緑・白・赤に染め分けられた国旗を振りながら狂喜するファンの姿だった。
 6月8日夜バンコク。日本がワールドカップ3大会連続出場を決めたスタジアムから戻り、私はホテルでパソコンと格闘していた。早朝にチェックアウトするまでに書き上げなければならない原稿が山ほどあった。部屋のテレビは、テヘランからの生中継、イラン対バーレーンの様子を伝えていた。
 バーレーンは5日前の日本戦とは比較にならないほどのがんばりを見せ、前半にはイランより数多くのチャンスをつくった。しかしイランは冷静に対処し、前半に記録した1点を守りきって、時間的には日本に次いで世界で2番目に予選突破を決めた。この日再びキャパシティいっぱいの12万人を入れることを許されたテヘランのアザディ・スタジアムは、まるで「革命前夜」のように沸騰していた。

 それは、「無観客」のバンコクのスタジアムで冷静に「出場決定」を迎えた私の気持ちとは対照的だった。イラン人ファンの喜ぶさまを、私は一種不思議な気持ちをもって見つめていた。
 「私たちは、『予選突破』の本当の喜びをまだ知らないのではないか」----。そんな思いが心をよぎった。
 イランにとって、この予選は楽なものではなかった。1次予選ではホームでヨルダンに敗れて絶体絶命の危機に立たされ、アウェーでなんとかその敗戦を取り戻して乗り切った。昨年9月、アンマンに乗り込んでのヨルダン戦を迎えたときには、ファンは生きた心地がしなかっただろう。
 それ以前に、イランには苦難の経験がある。2002年大会だ。出場権獲得をほぼ手中にしながら最終戦でバーレーンに1−3で敗れ、2位に落ちてプレーオフに回らざるをえなかった。そしてアジアの3位決定戦でUAEを下して臨んだヨーロッパとの最終プレーオフでは、強豪アイルランドと当たり、ホームでは1−0で勝ったものの、合計得点1−2と及ばず、98年フランス大会に次ぐ連続出場を逃した。

 言ってみれば、イランのファンはなんども「地獄」を見てきた。だからこそ、点差や試合内容はどうだろうと、ただ出場権を獲得したという事実だけで至上の幸福感を味わうことができたのだ。
 一方日本は、試合内容はもの足りなくても、ジーコが植えつけた勝負強さのおかげで順調に勝ち点を積み上げ、この日の出場決定に至った。
 「もう少しはらはらさせてくれても良かったのにな」
 仲間の記者には、こんな本音をもらす者もいた。
 ブラジルとドイツを除く世界中の国が、過去に「ワールドカップ予選落ち」の地獄を味わっている。それに対して日本は、「ドーハの悲劇」と言われた94年大会予選も、それまでにいちども出場権を獲得したわけではなかったので、大きなものを取り逃した悔しさはあったものの、喪失感とまではいかなかった。

 今回の予選では、早くから多くの人が「出場権を獲得できて当然」と語り、なんとなく大丈夫だろうという空気があった。そしてそのとおりになった。ほっとした気持ちはあるだろうが、日本の多くのファンの心には、イランのファンのような爆発的な喜びはなかったのではないか。
 6月8日に、アジアの4カ国とアルゼンチンの出場が決まった。秋になると、次つぎとそのほかの出場国も決まっていくだろう。そして、「地獄」を知るファンたちが心から喜ぶ様子が見られるだろう。
 できれば今後も「地獄」など見たくはない。だが今後、何年か何十年後かわからないが、必ずそうした日がくる。そのときには、「本当の喜びのための苦難」と思うことにしよう。
 
(2005年6月15日)
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