サッカーの話をしよう
No.563 目になるコメンテーター
昨年のアテネ・パラリンピックで、視覚障害者のサッカー競技が話題になった。ボールに音源を入れ、それを頼りにプレーするのだが、関東や西日本でリーグ戦が開催されるなど、日本でも盛んになってきている。ことし8月には、ベトナムで開催されるアジア選手権に日本代表が出場することも決まっている。
視覚障害者のサッカーは、1930年代にイギリスで始まり、60年代には協会がつくられて国際交流も始まった。97年にはバルセロナ(スペイン)で第1回ヨーロッパ選手権も開催されている。ルールの整備、審判員の養成などサポート態勢も充実し、急速に普及が進んでいる分野といっていいだろう。
プレーとともに注目したいのが視覚障害者の観戦受け入れ態勢だ。国際サッカー連盟(FIFA)発行「FIFAマガジン」の最新号で、ドイツでそのための取り組みが広がり始めていることを知った。
スタジアムに視覚障害者が安心して座れるスペースをつくり、ヘッドフォンで試合の実況を聞かせるというシステムである。実況は、彼らのためだけの特別のコメンテーターのもの。テレビ放送の音声では画面に映っているものはあえて語らないこともあるので、「見えない」ファンにはわからないことが多いからだ。
視覚障害者たちは、以前から親しい人に伴われてスタジアムで「観戦」していた。しかし視覚を補う解説の訓練を受けていない人がいくら話してくれても、「見えてこない」部分が多かったという。
新しいシステムのおかげで、いまでは、訓練を受けたコメンテーターの話に耳を傾けてボールの流れやプレーの状況を頭に描きつつ、スタンドの雰囲気、ファンの歓声やため息、口笛、拍手、そして審判の笛などから、試合の様子を生き生きと感じられるようになった。それは、まったく新しい体験だという。
視覚障害者に対する「コメンタリー・サービス」はイングランドで始まり、マンチェスター・ユナイテッドのオールドトラフォード・スタジアムには、44のヘッドフォン付き席が常設され、常に満員になっている。いまでは、大半のプレミアリーグ・クラブが、こうした設備とサービスを行っているという。
オールドトラフォードには、視覚障害者ばかりか、視覚とともに聴覚も失ったファンさえ「観戦」にきている。付き添い者がヘッドフォンで実況を聞きながらそのファンの手のひらに文字を書き、試合の様子を伝えるのだ。
日本では、96年に1試合だけ、浦和レッズが駒場スタジアムで「コメンタリー・サービス」を実施したことがある。ラジオとヘッドフォンを用意し、この日行われていたラジオ中継を聞きながら「観戦」してもらったという。しかしそれ以降は、こうした試みは行われていないようだ。
場内だけのFM放送設備をつくり、特別のコメンテーターを用意するのは、少なからぬ費用を必要とすることに違いない。しかし工夫次第で、経費はいくらでも落とすことができる。
コメンテーターは、ラジオ局やアナウンサーの養成学校などでボランティアを募集したらどうだろうか。以前、スタジアムの記者席で実況の訓練しているアナウンサーをよく見かけたが、録音するだけでなく、少人数でも聴取者がいるというだけで、訓練としては効果がアップするのではないか。機械設備も、本格的なFM中継でなく、コメンテーターを近くに配して有線で対応すれば、安くできる方法が見つかるのではないか。
スタジアムでサッカーを見るのは本当に楽しい。その楽しみをできるだけ多くの人に伝えていくことも、Jリーグやプロクラブの重要な使命であるはずだ。
(2005年7月6日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。